「あたし」というものにくっついていた

名前や

身体や

思考や

記憶、

肩書、

役割、

 

全部外して

最後に

「感情」が離れた時、

「あたし」そのものもあたしから離れました。

 

 

「あたしがいない」

それが分かった時、同時にせかいも消えました

 

 

でも、

五感は残ってて

五感があたしとせかいをつなぐんです

 

 

あたしは

見ているし

聞いているし

臭いがするし

触れるし

食べるって。。

 

あたしがいる、

せかいと分離している、

と感じる時もあり。

 

 

でも、

昨日ふと

「あたしが見ているこれは、本当に外側のせかいにあるんだろうか?」

という疑問が湧きました

 

 

 

頂いた桃を見ていて

確かに桃で

甘いにおいがするし

柔らかい手触りで

食べるとてもジューシーでおいしい。

 

 

でも、

それは本当にそこにあるの?

 

 

 

外側のせかいにあるように見える桃は

見えるからといって

触れるからといって

食べれるからといって

外側のせかいにあるといえるんだろうか?

 

 

 

桃が

あたしの意識の中に

あたしと共に立ち現れてきてハッとした

 

 

あたしが桃を見ていて

桃を食べるというストーリーが映っている

 

 

「あたし」はそのストーリーの中でこう言うんだよ

「こんなにもリアルなのに!!」ってwww

 

 

五感はあたしじゃなかった

 

 

あたしと桃が分かれていない一体のせかい(色)で

 

「見る」

「触れる」

「嗅ぐ」

「食べる」

が起こる

 

でも、

意識(空)では

何も起きてない

 

 

 

何も起きてない空(くう)で

いろんな現象が起き続けている

 

 

五感はあるけど

その体験者はいない

 

 

五感はあたしとせかいをつなぐけど

あたしが感じているんじゃない

 

 

 

桃は桃で

おいしかったんだけどさ