契約自由・・・幸福は増大するか | 風のかたちⅡ

契約自由・・・幸福は増大するか

大竹先生や八代先生の労働市場の理念型は、契約自由(締結も解約も自由)の世界なわけで、これが労働力の最適配置、雇用の量的拡大をもたらし、社会の厚生を増進するというストーリーだ。


エコノミストの方にはなじみやすい発想なのだろうが、実際の労働市場とのギャップの大きさがあって正直なところ飲み込みできない。


話の始めに、過去30年ほどの日本の労働市場の流動化の状況をみる。

雇用動向調査から推計すると、常用労働者に対する就業経験者移動率は、過去30年間、10%を僅かに下回る辺りで「安定的に」推移している。仮に、企業側の解約自由が実現すれば、この10%を基礎として「会社都合」によりはき出される人が純増することになる。どのくらい跳ね上がるかは分からないが。


気になることは、新たに流動化させられるグループ=「会社都合」により流動化させられるグループの厚生が増進するかと言う点だ。


話を簡単にするために、常用労働者の場合について考えてみる。

平成5年の労働白書が「転職は、どの年代層であっても生涯賃金を減少させる。40歳前後での損失は2500万円と最大」という推計を出して話題になった。大胆な(荒っぽい)推計だったらしく、大橋一橋大・中村都立大(当時)が推計をし直した。結論は、転職で損をするのは、年齢が高い層、会社都合、製造業、事務系、職種間移動の条件がある場合だった。


この発見からすると、企業側の解約自由の拡大で増加するグループは、「会社都合」により流動化させられるグループだから、次の職に就くことができたとしても、転職に伴う損失を受ける可能性がある人達だ。これに、年齢条件、産業、職種の条件が重なると損失の可能性は更に高くなるわけだ。


八代先生がおっしゃっている、市場の流動化というのは、既に働いているグループの厚生を全体として引き下げる可能性が大きいことになる。先生は、職業訓練を施してとか仰るが、大橋・中村研究では、職種、産業を変わることも損失を受ける条件の一つにある。先生のせっかくの思し召しが政策の充実につながったとしても、働く者には、プラス方向の流動化にはならない蓋然性の方が大きいのだ。


もうひとつ、八代先生、大竹先生だけでなく玄田先生も仰っている若年者の雇用を回復させる効果のほうはどうだろう。既に働いているグループが既得権益を持って、若者の常用としての入職を妨げているという話だ。


既に雇われているグループが、解約自由で既得権益をなくすのだから、当然、企業の雇用意欲は改善するはずだ(景気等は一定という仮定の下で)。新卒や既卒でも若い年代には朗報だろう。少なくとも、採用されるまでは。しかし、よく考えてみると、その後は厳しいのだ。いつでも解約自由の世界に飛び込むわけだからだ。若いうちならば、解約に伴う損失は少ないからまだよい。しかし、いつまでも人間は若くはない。常用雇用で年を重ねていくほど、解約を受けた場合の損失は大きくなる。


結局の所、解約自由の労働市場は、新卒者や既卒の若者にゲートを拡げはするが、そのゲートの先の世界は、解約により損失を被る危険が年と共に増していくコワイ世界なのではないか。


契約社員のような有期雇用契約は、常用雇用者に解約自由の適応になれば、企業側にとっての有期契約の理由そのものが変化する。これまでの、コスト削減や、雇用調整弁的な位置づけはうすれて、拡大された常用雇用の入り口に飛び込み安くなるだろう。ただし、その後のことは、新卒者等の若者と同じ状況になるのではないか。


派遣社員はどうか、パートタイマーはどうか。

こうしたグループの6割前後は、何らかの理由で、現在の正社員=無限定拘束という働き方を望まない人たちだから、解約自由とは関係はない。残る4割程度の「正社員になれなかったから」という理由でハケン、パートである人たちには、常用転換の門戸が広がるという所までは朗報だ。しかし、そのあとは、上に述べたとおり。


結局の所、企業側解約自由の実現した世界というのは、働く側の厚生を増大させはしないだろう、と思わざるを得ない。間違いなく、企業側の利益は増大するはずだが、それがどのような形で働くものに還元されるのだろう。日々解約自由の危険にさらされている労働者の賃金がそのコスト分だけ上積みされるだろうか。それはないだろう。労働市場全体が同じ状態ならば、企業はそうした上積みを労働者にする必要はないからだ。


どうも、イメージされるのは、企業のみが繁栄して働く側は今以上に幸福になることはあり得ない世界のような気がするのだが、こういうつまらない心配に八代先生他はどうお答え下さるのだろうか。昨年12月に先生が出版された「カナダ型社会をめざす」という本でも拝読すれば分かるかもしれない(流石にアメリカ型と仰らないのは、先生の戦略眼の確かさ、シンボル操作の巧みさだろう)