久々に入った長男の部屋で

私はゴミ箱を2度見 滝汗



そこには大量の空きカン…

7、8本はありそう。



半分以上も飲み残したまま

机の下に置きざらしのものもあれば


フェイスタオルが

かけられている缶もあった。



ナゼに??



あぁ。

タオルで隠してたのか…



床にこぼしたのだろうか

変に重たい雑巾にも

焦った。



バレたらなにか言われると

思ったのだろう。


隠したい気持ちと


別にええか という気持ちで 

ほったらかしの


そんな まだまだ幼い様子が

見てとれる。



私が出かけるのを見計らって

自販機まで買いに出ていることを思えば


たぶん最初の1本2本は

どきどきだっただろう。



見つからなければ

ばれなければ

言われないなら ええか。


それが重なって

こうなったんじゃないかと

思ってしまう。



そういう心根が許せないと思うのは
私の中の、いやしい心持ちを
認められないからなのか。






コーラやエナジードリンクには

カフェインが入っているから

出来るだけ飲ませない


それは夫婦一緒の意見だった。


だのに、夫は好んでコーラをのむ。



子どもはまだカフェインを

体が処理できないからダメ。

脳の発育にも良くない。


でも、

大人は(俺は)  ええねん

みたいな。



話がまた、ずれ込むが


今でも何かある度に夫は言う。



小さい頃からオヤツなんか、

ジュースなんか もっての他、

チップスだって

食べさせてもらえなかったと。



教育熱心だったお義母さんに

中学生にもなるまで

そのように育てられたのだそう。



そして、

その反動だと言わんばかりに

今もジャンクフードを

爆食いしている。



幼い頃の理由がどうであれ

今やってることを子どもたちは見ている。


真似されるのは 仕方なし。



ともかく制限されると

反動で興味をひきやすい。



困ったな。



ただ、あまりのズサンさに

これは何かのアピールなのか?

何か言ってほしいのか?

もしか怒ってほしいの?

試してる?

なんて思ったりしたので


とりあえず


飲みすぎちゃうか!!


ほんで、

空きカンは燃えるゴミちゃうし

流し台に出してな


と言ってみた。


そしたら

特に何か反発するでもなく

だまって片付けていた。



でも、言わないといけないことが

ズレてる感覚がある。


まだ細々と言わないと

わからない年令なのかな?

もしかしたら、

かまいすぎなのか?という気持ちや


気になることはもっと他にあるし

もっともっと重大なことに

注力すべきと思ったら

そんなことしか言えなかった。



向き合うことは、なんだろう?

これを書きながら考えている。


気になるのは


言われなければ

ばれなければと

コソコソ隠れてするところ



気持ちをオープンに話せる

親子関係ではない ということ



これは

いろんなところに派生してる。

同じように、これまでにも

お金が絡む問題も数回。



わが子は聖人と思っている節が

あったけれど、子どもなんて

そんなもんなのかもしれないと

最近は思うようになってきた。



空きカンを前にいろんな考えが

次から次へと迷走してる。


いつも考えすぎてるんかなぁ