【天地同根万物一体】を取り上げます。用語解説を数ヶ月に渡り続けてまいりましたが、本日が最終回です。
天地同根万物一体は仏教用語です。最終回にふさわしい言葉ですね。
『碧巌録』(へきがんろく)等、禅宗系の書籍にこの言葉、あるいは似た言葉が散見されますが、中国曹洞宗の宏智正覚禅師という人が著した『頌古百則』の第九十一則に記載されているのが、一番古いようです。
天地と我は同根であり、万物と我は一体です。私たちは物事を分けて認識する世界に慣れ親しんでいるので、私と天地は別物だと思うし、私と私以外の人や物とは別々だと思っています。
でも、この慣れ親しんだ分別する意識を超え、無分別の境地に立つと、私と私以外のもの、究極的に言えば私と宇宙は一体であるということを体感します。
私は先日、天皇・皇后両陛下にお目にかかりました。両陛下の心のありようを一言で言うと「無私」(私がなく、公に生きる)だと直感しました。目の前にいる人に全てを捧げる。あるいは日本の平和、世界の平和に心を寄せる。そうであり続けるように、一瞬一瞬を生き続けている。そのように私は感じました。
無分別の境地は瞑想を通して味わいやすくはできているのでしょうが、瞑想をしていようがしていまいが、常に心を開いて、全てを我が事と思って生きていく、その生きざまが大切なことだと思います。
東洋思想・東洋哲学を書物の世界や概念の世界に閉じ込めていてはいけません。一人の世界に閉じ込めておくのももったいないです。素晴らしいことを学んだら、できることから実践していきましょう。自分から他人や環境に働きかけて、よりよい社会を築く礎(いしずえ)となりましょう。
これにて数ヶ月に渡って続けてきた用語解説を終了と致します。時には難解な解説になってしまったことや、力不足で本質に迫れなかった解説もあったことかと存じます。おつき合いいただいた皆様に、心より感謝申し上げます。どうもありがとうございました!
天地同根万物一体は仏教用語です。最終回にふさわしい言葉ですね。
『碧巌録』(へきがんろく)等、禅宗系の書籍にこの言葉、あるいは似た言葉が散見されますが、中国曹洞宗の宏智正覚禅師という人が著した『頌古百則』の第九十一則に記載されているのが、一番古いようです。
天地と我は同根であり、万物と我は一体です。私たちは物事を分けて認識する世界に慣れ親しんでいるので、私と天地は別物だと思うし、私と私以外の人や物とは別々だと思っています。
でも、この慣れ親しんだ分別する意識を超え、無分別の境地に立つと、私と私以外のもの、究極的に言えば私と宇宙は一体であるということを体感します。
私は先日、天皇・皇后両陛下にお目にかかりました。両陛下の心のありようを一言で言うと「無私」(私がなく、公に生きる)だと直感しました。目の前にいる人に全てを捧げる。あるいは日本の平和、世界の平和に心を寄せる。そうであり続けるように、一瞬一瞬を生き続けている。そのように私は感じました。
無分別の境地は瞑想を通して味わいやすくはできているのでしょうが、瞑想をしていようがしていまいが、常に心を開いて、全てを我が事と思って生きていく、その生きざまが大切なことだと思います。
東洋思想・東洋哲学を書物の世界や概念の世界に閉じ込めていてはいけません。一人の世界に閉じ込めておくのももったいないです。素晴らしいことを学んだら、できることから実践していきましょう。自分から他人や環境に働きかけて、よりよい社会を築く礎(いしずえ)となりましょう。
これにて数ヶ月に渡って続けてきた用語解説を終了と致します。時には難解な解説になってしまったことや、力不足で本質に迫れなかった解説もあったことかと存じます。おつき合いいただいた皆様に、心より感謝申し上げます。どうもありがとうございました!