前回我が家の悲しい過去をお話ししました。

 

 

 

 

詳しくはこちらびっくりマーク

 

 

 

とても簡潔にお話しました。

今回はもう少し詳しく・・・

 

 

 

 

※妊娠中の方や、悲しい内容を避けたい方はここでお戻りください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回のお話が読み返してみると、言葉足らず、簡潔に書きすぎていて

いつかは世の皆さんにもその子の話をしたいと思いながら11年経ち、

やっと・・・やっと書こうと決心したので不安

 

 

 

 

もう少しその子について書かせてください。

 

 

 

 

その子に病気があるかもと言われたのが、

妊娠8週の検診の日。

いつも通りにエコー検査を受けていました。

 

 

すると、長男も取り上げてくれた主治医が・・・

「身支度してください。あちらでお話します。」

 

と・・・

エコー中に何の説明もないなんて珍しいなと思いながら、診察室に戻りました。

 

 

すると、思いがけず

「今日のエコーを診た結果ですが、もしかしたら何か病気があるかもしれません。

大学病院に紹介状を書くので連絡をして診てもらってください。」

 

と・・・

 

 

え?

 

 

 

病気って?

 

まだ8週目だよ?

 

 

 

小さくて分からないんだ、きっと・・・

 

 

 

と、思いました。

 

 

けれど。

一人出産していたので、エコー写真を見せられたら、あ、なんか見たことないな・・・

と、素人でも分かるほどに体の周りにもう一本囲う線があったのです。

 

 

 

主治医が、

「二重に見えますよね。体全体が浮腫んでいます。胎児水腫といって、重篤な病気を抱えていることが多いです。」

 

 

 

頭の中が真っ暗になりました。

 

 

 

私はすぐに大学病院に予約をとって行ってきました。

 

 

 

初日の検査では心臓がどうも上手く機能してないみたいだと言われました。

次回の検査は心臓のスペシャリストが来て、もっと詳しく診てくださり、

 

 

「右心室と左心室が連動していません。心房ブロックです。」

 

 

と、、、

病名が確定しました。

 

 

確かに、脈が通常の子に比べると遥かに遅いんです。

それは私にも良く分かりました。

 

 

 

そして、「いつまでもつか分かりません。」と・・・

 

 

 

 

 

専門家が診てそう言うのだから、そうなんだろう・・・

 

 

 

 

 

でもさ、私まだ25だよ?

 

 

 

若いし、何の病気もないし、なんで・・

 

 

なんでこの子なの・・・

 

 

 

 

大学病院からの帰り道はいつも泣いていました。

 

 

 

それと同時に、もしかしたら今日の検診で心拍が止まっています・・・

とか言われて、急遽このまま入院して出産しましょうって言われるんじゃ・・・

 

 

と、恐怖を抱えながら通っていたので、

(あぁ。今日も心拍みれた・・・・外に出られた・・・・)

 

 

 

と、心の中で思っていました。

 

 

 

 

心配する気持ちをよそに、その子は毎日元気いっぱいの胎動を感じさせてくれて、今思うと今日も僕は生きてるよ!安心してね!

 

と、伝えてくれていたのかと思います。

 

 

 

すくすく大きくなって、6カ月も後半に差し掛かったころ、ふと

(出かけよう!この子にも見せてあげたいね)

と旦那さんと話合い、動物園へ行きました。

 

 

 

 

久しぶりのお出かけ。

 

 

 

一日中、悲しいことは考えずに家族4人で楽しみました。

 

 

 

 

そして運命の日。

 

 

 

 

お昼ご飯を済ませて、長男を寝かしつけしようとしていた時。

あれ?胎動最後に感じたのいつだっけ?

ねぇ、動いて・・・

ツンツンしてみる。

 

 

反応がない・・・

 

 

 

ねぇ、うそ・・・

やだよ・・・

 

 

そうだ病院!

病院で診てもらえば動いてるのすぐ分かるもんね!

 

 

お母さんに来てもらい、旦那さんに行ってくると伝え向かいました。

 

 

 

 

信頼を置いていた主治医。

「すぐに診察しましょう。」

と、エコーの準備をしてくださいました。

 

 

 

お腹にいつものジェルが塗られている、その一瞬の時も

(早く!早く元気なこの子を見せて!)

 

と、気持ちが焦っていました。

 

 

 

しかし、エコーをぐりっと当てられてみると・・・

分かってしまったのです。

シンゾウが動いてない・・・

 

 

 

何回も心臓のエコー検査してきましたから・・・

 

 

 

主治医は

「ここが心臓ですけどね、動いてないですね。」

 

 

 

抑えられるわけもなく、声を出して泣きました・・・

 

 

お母さんと長男が呼ばれ、支えられながら診察室を出ました。

 

 

 

その後の事は、

どうやって家に帰ったのか、夕ご飯を食べたのか、旦那さんはいつ帰ってきたのか何も思い出せません。

 

 

 

 

 

 

お腹から出してあげないとならなくて、その日を決め、

長男は義理の実家へ。

 

 

 

亡くなると、妊娠期間が終わりました・・・と告げられるかのように

日に日にお腹が小さくなっていくんですよね。

 

 

 

それを感じてまた、この子がいなくなってしまう恐怖で大泣きし・・・

 

 

 

もう周りの人たちは見ていられなかったでしょうね・・・

 

 

 

 

 

出産は自然分娩と同じく陣痛を起こして産みました。

違ったことは、産んでもおめでとうを言われないこと・・・

 

 

あんなに静かなお産は悲しすぎます・・・

 

 

 

 

 

 

ダメだ・・・

 

 

 

書くと決めて始めたのに・・・

11年経過しても乗り越えてはいないんです。

 

 

書いてる今もやはり涙が止めどなく流れてきてしまいます・・・

 

 

 

 

子供たちが寝静まってから書き始めて良かった・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

出産して、自宅に戻った後は一日だけ家族4人で過ごしました。

夜も眠れなかったけど、この子がここに居る・・・

それが何とも言えない感情でした。

 

 

 

火葬をしなければならない・・・

 

 

 

その日がもう・・・

 

 

 

私が唯一死のうと思った日です

 

 

 

 

火葬場に行きたくなくて、何度も旦那さんからその子と一緒に逃げました。

でも、捕まって、、、

「行くよ。」と。

 

 

 

火葬の扉が完全に閉まるまで一緒に逝くと、本当に思っていました。

 

 

 

 

扉が閉まって、外へ出て登っていく煙を見た時に、

あぁ、行ってしまったんだな・・・もうあの子はこの世にいない・・・

と、頭と心の両方が理解できた瞬間だったと思います。

 

 

 

その後は、少し落ち着きを取り戻しましたが、まだまだ苦しみから逃れられる訳もなく、

前回のお話に続きます。

 

 

 

 

 

産後に最初に通っていた個人病院の主治医に経緯を報告しに行った時の事です。

 

 

 

主治医に全て告げると、

「この子は妊娠初期に本来なら流産してしまう子だったんだと思います。

でも、6ヶ月まで育った、奇跡と言ってもいいでしょう。

ここまで一緒にいてくれて親孝行な子ですね。」

 

 

 

 

先生、ありがとうございます。

離れて寂しい。その気持ちは変えられないので、

無理に気持ちをコントロールするのは辞めました。

 

 

 

 

その代わり、空を見上げています。

ママもいつかそっちに行くからね!そしたらいっぱい一緒に遊ぼうね!

そう、心で伝えながら・・・

 

 

 

 

私は今も先生や、占い師のMさんの言葉に支えられて生きてます・・・

 

 

 

 

 

今は、男女5人の子供たちに恵まれて、ハッピーに見えるかもしれない私ですが心には今も乗り越えられていない深い悲しみがあるんです・・・

 

 

 

あの人はいいな、私はなぜこうなんだろうと、人と比べたり、妬んだりしてしまう人もいますよね。

 

 

でも、みんな人に見せてる顔は外の顔。

内には人知れず悲しみを抱えているかもしれません。

 

 

 

人と自分の全てを比べる事なんて出来っこないのです。

 

 

 

だから、あの人のここが羨ましいな・・・

って思うなら、妬まずに、その人を嫌いにならずに一歩でも近づけるように努力すればよいのです。

 

 

 

どうして私がこんな事を言うのか、また次回お話させてください真顔

 

 

 

では・・・

アメリカンバーガーと共にさようなら~照れ

See you next time飛び出すハート

 

 

america-burger

 

 

 

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