【絶滅危惧種①「二人静」】

※この記事は自分リブログです。2015年8月18日10:08に上げており、不定期シリーズにしようと思ったまま頓挫(笑)
最近思い立ちまして、ちょっくら またやってみたいと思います。
(少々加筆・訂正しました)



予てからやりたかった絶滅危惧種シリーズ。

何が絶滅危惧されているのかと申しますと、その昔に度々目にした恋愛シーンであります。

時代によって、それは少しずつ形を変えるのが当然だとは思うのですが、
ロートル(←老いぼれのことよ♪)である者と今どきの若者では思った以上に中身が違うのではないかと感じていまして、まあ、つまり昔のそうしたシーンが少し懐かしいような。というか、図らずも現役を続けねばならない自分への憐憫の、その、ね(苦笑)


ちなみに選考基準はあまり深く考えている訳ではないゆえに当然単に独断であり、ワタクシの見てきたそうした風景と個人的好みが全てであります。

もっとも、もしかしたら私の中でも、それは絶滅しかけているのかもしれません。

そうそう、これをやろうと思った動機は、ある時期ふと思いついたから(笑)

こんなことの動機なんて、そんなもんでいいですよね?

また、すべて音楽動画で構成します。

「絶滅危惧」なだけに古い曲の紹介ですが(というかこの数十年、新しい音楽は聴かない。興味ない)、お嫌いな方はご退出くださいな。


ということで、第一弾は中森明菜さん。

実は一発目に何を持ってこようかとずっと考えていたのですが、一昨日昼間、案外この家は(私の住居ね)静かでして、一人でぼーっとセミの声や秋虫の声を聞きながら過ごしていましたところ、「ホントこの家、静かだな」と感想し、重ねて言いますが、その時一人でして、そう言やあ「一人静か」なんて曲があったような、と思い立ちネットで検索したところそれは、「二人静」でした。

改めて聴いていて気に入り、一発目をこれに決めました。

特にファンではないものの、ゆえにあまり曲を知ってはいないものの、中森さんの楽曲で、私は3つだけ「参りました」と思っている曲があります。

この「二人静」と「I missed “the shock”」、そして「ミ・アモーレ」です。

先の2つは「参りました。私が悪うございました。勘弁してください」と何故か許しを乞うてしまいたくなります。何か悪い事をしたわけでもないのに、何故でしょう?悪いこと、してません。たぶん。
あとの1つは、単純にシビレます。


この動画の中森さんは、確かにお綺麗です。が、それよりも目が行ってしまうのは、半開きにした据わった目。離婚して間もなく芸能界に復活した時の安室奈美恵がひどくふてぶてしい据わった目をしていたのを目にした時にもちびりそうになりましたが(笑)、中森さんのこの据わった目はそれとは異質で、妖艶であり、何だろう?悲しみなのか何かの覚悟なのか、そんなものが見て取れる気がします。

ステージ上の単なるパフォーマンスでは出来ないものだと思えます。つまり、身に着けた心境のようなものがあるのでしょうね。

余談になりますが、あなたが男であれば、恋人なり妻なり、あるいは好意を抱かれているなと思える女性に是非カラオケに行ってこの歌を歌ってもらって下さい。

「殺めたいくらい」惚れ込まれ「添い寝して永遠に」抱かれるのだそうです。いい夢を泡沫(うたかた)、見ていなさいなと言われるのですよ。背筋がゾクゾクするはずで、チンケな怪談よりも余程納涼効果は抜群なはずです。特に女性が中森さんのような不安定系の女性であれば、もうバッチリです。

私はご遠慮申し上げますけど。あんな目に遭うのは1度で…いえ、その、何でもありません。
(もっとも中には何も感じない鈍いお方もおられるのかな?)

殺めたいくらい、とか永遠に抱いている、とかは、支配の形に見えますが、本質は依存です。というか、支配と依存は、しばしば同じ意味ですよね。

個人的には依存の要素の全くない自立独立した個人同士の恋愛とかいうものは、それがもしあったとしたら、ちょっと物足りないというか、つまらない気もします。
少なくとも若い頃は、多少の狂気が含まれている方が面白いと思うのは勝手なのでしょうか?もっとも年取ると、ついつい面倒にしか感じなくなりますが(苦笑)。

と、いうことで、今回の絶滅危惧は“狂気の愛”。でも、ホントに刺しちゃったり手首切っちゃったり、まして下のほうをちょん切っちゃったりしたらアカンよ(笑)

いや、口数が過ぎました。では、どうぞ。
   ↓   ↓   ↓




          しっぽフリフリ