ただひたすらに こどものからだにふれていく。

日によってはできないこともあるけど

可能な限り 朝、登園してきた子たちのからだにふれていく。

 

昔は力尽くで かたくなってるところを押していた。

押せばいいんだろう

固くなってるの ほぐせばいいんだろう と思っていた。

こどものからだは、それでもそれなりに 変わっていったから

そんな風にしていた時代がある。

 

でも、いろいろ学ぶうちに

冷蔵庫で固くなっている肉を 叩いてるわけじゃないことに気がついた。

目の前にあるお肉(からだ)には、血が通っている。

 

人間って 血が通わなくなったら 腐るんだよね。

だから冷蔵庫から出したお肉を 出しっぱなしにしてたら腐る。

そんなお肉と同じように 大事なこどもたちのからだを扱っちゃだめだ

と、気がついた。

 

力尽くで押したときと

きちんとアプローチのやり方を考えて触れたときでは

たとえそのふれ方が

ただ手のひらをその子の脚に乗せただけだとしても

よほど そちらの方が変化していく事実。

 

力入れればいいわけじゃない

どういうふれ方すれば

より良い形で

こども自身のからだが 治ろう 元に戻ろう 良くなろうとしている力を

支え、良い方向に変化するきっかけが作れるのか。

 

良くなる主体は こども自身。

私はきっかけをつくるだけ。

 

力入れてやっていた時は 主体が私になっていた。

よくしてあげられる私。

 

力をいれない時の主体は こども

良くなるのはこども。

私じゃない。

こどもの力で良くなってる。

 

血流はよくなりたがっている。

どっかで なんかうまくいかないところがあるから滞ってるだけ。

私がよくする?違う違う。

私は皮膚にふれてるだけ

それを受けて 筋膜を戻すのはこどものからだ

 

そのことが 骨身にしみてきた この頃。

ただひたすら 毎日こどもにふれて

こどもってすごい

ひとのからだってすごい

なんて素晴らしいシステムなんだと感動しつづけています。

 

そんなことをお話しているインスタライブのアーカイブです。