お久しぶりの敦子です。

いろいろある数日だったので、
今日は私の独り言。




「人は人のために泣けない。

故人のためにすら泣けない。

その人に会えないと思って、自分のために泣くんだ」

 

小学生の時に読んだ漫画にそう書いてあって

本当にその通りだと思った。

 

 

 

私は、私のために泣くのだ。

自分が寂しくて、泣くのだ。

 

 

 

 

 

 

「死ぬって、もう二度と会えないってことだよ」と

きっとみんな小さなころに教わったと思う。

 

 

 

大人になった今、

私はそんなことないと信じているけど

 

 

もし、多くの人が

もう二度と会えないと信じているなら。

 

誰にだって、いつか必ずその時を迎える。

 

 

 

それも知っているはずなのに、なぜだろう?

 

 

 

 

 

私には、分からない。

 

 

 

 

死は、身近なものだよ。


出産、卒業、就職、結婚と同じ
人生の一コマ。

 

 

 

 

私も、明日事故にでもあって死ぬかもしれない。

 

 

 

残された時間があと1日だったら、
あなたは何をするのかな?

 

 

 

あと1週間だったら?

 

 

 

あと、一カ月だったら?

 

 

 

あと、1年だったら。

 

 

 

 

 

それを先にするんだよ。

だって誰も、自分がいつ死ぬか分からないんだもの。

 

 

 

 

明日死ぬならやっておきたいこと、
あなたは今日、それができましたか?

 

やっておくことが、できましたか?

 

 

 

 

それだけで、人生の濃度がぐっと変わる。

 

それを気付かせてくれるのが
「死」という存在じゃないだろうか。

 

 

 

 

友人のご家族が先日亡くなって

「死」って、生まれてきてくる瞬間と同じように

孤独で、誰も侵すことができない神聖な時間なのだと思った。

 

 

 

銀ちゃんのときも、同じように感動するほどだった。

 

 

 

 

何が言いたいかというと

やっぱり流行のコロナの話になっちゃうけど

 

本当に怖いのは

ウィルスなんかじゃない。

 

 

 

 

恐れそのものなんだ。

 

 

 

 

恐れが、経済も物流も
世界を混乱へと貶めてしまう。

 

 

 

 

正直なところ、私はがっかりしてる。

憤りに似たものも感じてる。

 

 

 

 

 

私たちの存在は、恐れにコントロールされる側じゃない。

 

時代を、価値観を変えていこう。
本気で、本質と向き合おうよ。

 

 

 

 

死についていろいろ話をしたけど、

そんな私は、

人より寂しさにかなり敏感なので、

友達と別れるときは

「バイバイ」が言えない。

  

必ず「またね」って言う。

 

 

 

言われることにも、まだ慣れない。

 

 

 

死は、別つものじゃない。

今はそう信じてる。

 

 

 

家族が、自分よりちょっと先にHOMEへ帰っただけだ。

むしろ、銀ちゃんなんかは
肉体を手放してからの方が

自分がどこにいても、繋がりを感じたりする。

 

距離とか場所の概念がないからね。

 

 

 

 

でも、肉体がないと体験できないこともいっぱいある。

抱きしめたり

体温を感じたり

語り合ったり

香りを感じたり

触れ合ったり

 

 

怒ったり

笑ったり

泣いたり

悲しんだり

喜んだり。

 

 

 

あなたが本当に大切にしたいことは

何なんだろう?

 

 

 

恐れに飲まれることなのだろうか?



それなら、それでいい。
それも、貴重な体験だから。



(因みに私は、ストレスや負荷は嫌いじゃない)
(うきうきワクワクだけが人生の楽しみ方じゃない)

 

 

 

 

あなたが、本当にこの人生でよかったと
満足している姿を見たい。