自宅では通夜や葬儀の準備が着々と始まって
近所のおばちゃん達も泣きながらやってくる。
わたしは泣くことはなくて、来客と共におしよせる重い空気に
使命感で明るく振る舞うも、ピエロみたいで罪悪感を感じた。
お父さんは慌ただしかったのか
落ち込みが酷かったのか
私がそんなお父さんを見たくなかったのか
全然記憶にない。
両親とも友達が多く、たくさんの人が訪れて
中にはドラマよろしく、棺桶のお母さんに泣いて訴える人もいた。
どこか私は傍観していて
心から悲しくて泣いた記憶がなくて
きっと泣いておかないといけないんだと思って
頑張って泣いてた気がする。
今その時を思い返しても、ちっとも悲しくない。
薄情なのかしら、とすら思う。
悲しい、寂しいという感情に気付くのは
失った時よりも
失った後の日常なんだな~って思います。
まぁ、そんなこんなで我が家はある日突然、混乱に陥りました。
さすがに父は大いに参ってしまって、仕事にも行けない状態。
今でも、当時どうやって過ごしたか覚えていないと言います。
娘3人いたのに、ちゃんと世話できたんかのぉって。
高校3年生の長女が、お父さんも、私たち妹も支えてくれました。
元々しっかり者で真面目で勉強もできるお姉ちゃん。
私は自覚なかったけど、本当に甘えさせてもらったんだろうなぁ。
お父さんもすっかりお姉ちゃんに甘えてしまって、
私が思春期に入った頃、いつからか二人の絆が依存に見えてきて
「お父さんはお姉ちゃんの言う事だけは聞く」と拗ねてた。
家族を支えていくために、正しさを追求する事しか選択できなかったお姉ちゃんが、
とても狡く見えて大嫌いになっていった。
お父さんが情けなくて仕方なかった。
一方、2番目のお姉ちゃんは優しくて、感受性豊か。
お母さんが死んじゃって、お父さん同様いろんな問題を起こした(ように見えた)。
お姉ちゃんも、当時の記憶がないと言う。
えーーー!!あれだけ迷惑かけて、記憶がないの!?って思うくらい
みんなが心配するような事、いっぱいしてた。
家族の中でいろんな問題が起きても
私は一人蚊帳の外。
あんたは2階あがっとき。
知らんでいい事。
そんな風に言われて、まだ幼い自分はすっごく寂しかった。
孤独だった。
私も家族なんだからそっちに入れてって言えたら良かったね。
今思えば、私はどうやら家族の中で
「みんなで守らなきゃいけない存在」だったようで
大切にされていたんだと思う。
仲間に入れて貰えないと思っていた私は、
自分にできる事はこれまで通り「いい子」でいる事だと思いました。
学校ではお母さんの事、一言も口に出さず、
明るく元気に、勉強も良くできて
友達と一緒に遊ぶこと。
問題を作らない事。
平常運転でいる事が、私が家族のためにできる事でした。
次はちょっと性のお話になるので、読みたくない人もいるだろうし、アメンバー限定で。