私はどうしてこんなに怖いんだろう?


何にこんなに怯えているんだろう?


向き合って、ちょっとずつ答えが見えてきたので、

まとめながら見つめてみようと思います。




両親は、恋愛結婚。


9歳年が離れていて、父は母の事をとっても可愛がっていたらしい。

運命的な出会いの話や、何年もやりとりしていた文通が、今でも綺麗に保管されている。



お互い中卒で、貧乏で学校へ行く事も出来ず、早くから仕事をしてお金には苦労したらしい。



姉妹は年の離れた姉が2人。


両親が年を取ってからの子供だし、姉とは年が離れているし、


家族みんなから愛されて育ったんだと思います。



母は自分が受けて来れなかった教育や教養を


娘たちにはと思ったらしく


習い事をたくさんさせてくれました。



娘3人を無事大学へやるのが、夢だと言っていたなぁ~。



私はピアノもそろばんも嫌いじゃなかったけど


「行かなきゃイケナイ」義務感が面倒くさくて、時々内緒でサボってた。



けど、それは当然お母さんにすぐばれて


子育てが上手くいかないフラストレーションが爆発するのか


ヒステリックになって泣きわめいてしばかれた。



下着姿のまま外に出されることもあった。



お母さんに泣かれちゃうと、私は「ごめんなさい」しか言えなくなってしまって


反抗したくてもできなくて


解放された後、お母さんの見えない所で口パクで文句言ったり


2階に上がって布団被ってわんわん泣いた。



でも、辞めようと思うと罪悪感で一杯だった。


いやいやながらもやってると、褒められたし。


この辺りからかな、頑張れば評価されるとか、認めてもらえるとかって解釈したのは。





そうそう、お金がないお金がないっていつも言っていて


仕事は3つ掛け持ちするし、お姉ちゃんの塾の送り迎えとか、家事とかで


いつもバタバタしていて、イライラしていた。



バイトの新聞配達に寝坊した時は


3人の子供総動員で手伝いに起こされた。



家の中は結構ぐちゃぐちゃで

毎朝コーヒー作るくせに飲む時間がないとか言ってそのままで


わたし、白い目で見てたなー。


なーんか、今の私お母さんそっくり(笑)

お手伝いとか、全然する気が起きなかった。




ヒスもちで、感情の起伏が激しくて


怒るといつも泣くの。



お買い物の帰りの車の中で私が何かわがまま言った時


もういい、このまま車突っ込んで一緒に死のうか!!とか脅しちゃうお母さんでした。



その恐怖たるや・・・お母さんごめんなさいって私も泣き叫ぶしかなかったな。



お母さんから見れば、娘3人は私の言う事なんかちっとも聞かず


分かってもくれず、手伝ってもくれず、なんて困った子供たちだと頭を悩ませていたに違いない。



私は今振り返っても、なんて困ったお母さんだと思う。


でも、必死だったんだね。


今なら分かる。






小学5年生の冬。


11歳になって1か月して。



私は甘えん坊で、まだお母さんと同じ布団で寝てた。



早朝に、お姉ちゃんに


「お母さんが死んだかもしれん」と、起こされました。



新聞配達中に、事故でお母さんは死んでしまいました。





わたしは、ただ、大変な事が起こっている。


非常事態なんだと言う事だけは分かっていて


でも、悲しいとかよく分からなかった。




お父さんは先に現場に確認に行っていて


お姉ちゃんたちと3人でタクシーに乗って現場へ行きました。





警察とかいっぱいで物々しい雰囲気の中


しばらくするとお父さんがタクシーへやってきて


「お母さんだった」と言いました。



お母さんが死んだと言う事より


今までに見たことのないお父さんの姿にショックが隠せなかった。




急に不安になって、どうしていいか分からなくなった。




その後家に帰って、学校とかに事情を連絡する長女の姿が印象的でした。