四十九日 | hidamari.

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何気ないけれど、ひだまりのようにほっこり温かくていとしい日常を、私らしくマイペースに。 

ねぇ、おばあちゃん。
今日、こんなことがあったんだよ。
おばあちゃんなら、笑って頷いてくれるよね。

ねぇ、おばあちゃん。
変なところで私って、頑固だよねぇ。
おばあちゃんに似たのかもしれないね。

ねぇ、おばあちゃん。
「おうたがあるし、忙しいからねぇ」って言ってた“おうた”、
私はずっと短歌とか俳句とかのお詩だと思ってたんだよ。
御詠歌のことだったんだねぇ。
知らないことたくさんあるね、もっと話聞きたかったよ。

ねぇ、おばあちゃん。
うちのお母さんもね、私が起きた時、大抵台所にいるんだよ。
おばあちゃんもそうだったよね。

ねぇ、おばあちゃん。
今日の関西は、いいお天気だよ。

  *  *  *

6月初旬に祖母が亡くなりました。
4月に検査して亡くなるまで2ヶ月弱。
我慢強い人だったから、
たぶん随分我慢してからの診察だったんだと思うけれど。
「周りに迷惑をかけたくない」と本人が希望していたそのとおりに
あっという間にいなくなってしまいました。

すぐ近くに住んでいるわけではないから、
会うのは一年に一回くらい。
それも毎年ではなかったし、
社会人になってからは、なおさら回数が減っていました。

もっと会いに行っておけばよかったなぁ。
いろんな話、聞いておけばよかったなぁ。

今更、どうしようもないけれど、
きっと頭の隅でずっと思っていたことだったから、
どうしてもそんな想いは拭えなくて。

それに、たまにしか帰らないけど、
たまに帰ったらいつも笑顔で迎えてくれた。
その笑顔は、私をほっとさせて、大好きだったのに。
そう考えると、余計に思っちゃうんですよね。
離れていてももっと何か祖母孝行したかったなぁ、って。

初七日も四十九日もお葬式の日に事前にやったので、
次に会うのはきっと新盆。
四十九日っていつになるんだろうと数えてみたら、
なんと今日がそうでした。

お寺さんが言うには、四十九日というのは、
亡くなった人は7日間ずつ7人の人を生きて、
極楽浄土へ行くための修行をする期間。

それと同時に、残された人にとっては、
その人とお別れする準備期間なのだそうです。

すぐにその人が死んだということは受け入れられない。
明日になったらひょっこり現れるんじゃないか、
そんな希望はなかなか捨てきれない。

だから、四十九日の間は毎日一秒でもいいから、
故人を思い出して、死を受け入れていくしかない。

“ねぇ、おばあちゃん。”

お寺さんの話を聴いて、そう呼びかけています。
初めは意識して毎日呼びかけていたけれど、
今では何日か置きになってしまいました。

日常の慌ただしさでつい忘れてしまうこともあるけど、
ふとした瞬間に思い出すと、今でも泣きそうになってしまいます。
それでも、“おばあちゃんがもういない”という事実を
受け入れ始めてるんだなぁ。

私たちがいつまでも悲しんでいることを、
おばあちゃんはきっと望んでないだろうし、
生きている以上は、前向いて生きていかないといけないもんね。
わかってるけれど、まだまだ複雑です。

こんなこと、わざわざこうやって書くべきじゃないのかもしれないけど、
なんかどこかに今の気持ちを残しておきたいなと思いました。

ねぇ、おばあちゃん。
これからもきっと何かあったら、私、おばあちゃんに呼びかけるよ。
へこたれてもちゃんと立ち直るから、話を聞いてね。
私のことも見守っていてね。

よし、精一杯生きよう。