a7625194.JPG試合から一週間以上経ってしまったが、原学戦について少し語ろうと思う。
原学と初めて会ったのは彼がバトラーツジムに入会してきた1999年秋。彼はまだ高校3年生だった。その頃から「プロレスラーにならない?」と聞いていたボク。何か感じるものがあったのだろうか。
ジムでの練習で徐々に技術、精神力を身につけていった学に「プロとして食っていきたい」という野心が生まれたのは2001年始めだったか。ボクは入門テストを受けるよう勧め、彼は好成績でそれをクリア。当時通っていた専門学校を中退してバトラーツ入門となった。
しかし、2001年10月バトラーツは一時解散となる。当時のボクはフリーとして食っていけるかも分からない状態。自分が導いた後輩のデビューを見届けることも出来ず、申し訳なく思った。
ボクが伊藤崇文と運命の対戦を果たした2002年6月9日、学はデビュー。相手はボクがバトラーツ時代に抗争を繰り広げた松井大二郎。これも何かの因縁か。
その後もボクにとってのフナキさんがそうであったように、ボクは学のことを時に優しく、時に厳しく見守ってきたつもりだ。過去に彼がZERO-ONEやみちのくプロレスに参戦したのもボクの推薦。そのときに対戦の機会が訪れず、バトラーツにリングで初対戦できたことを嬉しく思う。

試合当日、サムライTVのインタビューでボクは「この試合はマッチメイクした石川さんが考えてる以上に、ボクら二人にとっては大きいと思う」と語った。
しかし試合後、学の大粒の涙を見て、ボクが考えていた以上に彼にとってこの一戦は大きかったんだと感じた。その涙にボクは「後輩の愛」を感じ取った。

ボクのデビュー戦後、フナキさんは「今日はとにかく日高の日にしてやろうと思った」と語った。この日のボクにもそれに似た気持ちはあったが、もちろんあの時のフナキさん程の余裕はなかった。それどころか危うくやられるとこだった。彼はボクのことを「師匠」と言ってくれているらしい。その師匠に対するあの容赦ない蹴りは、彼が数ヶ月前とは別人であることを認識させた。ひと皮剥けたんじゃないか?試合中は厳しかったが、試合後は逆に安心したボクがいた。

師匠、後輩からの「人間愛」って大きいものなんですね。
ボクはそれをいつも受け止めてくれていたフナキさんに心の中で改めて感謝をした。