この歳になって(今更)気付く。
人には多様性が有るが、それは知的能力と言うよりも五感の優劣や身体的外観に大きく左右されていて、教育や生育環境の影響よりも大きいのでは無いか。
後天的に獲得する事は、先天的な資質に影響され支配されていると思える。
例えば、視力が優れている人は旅行により得られる感動が、視力が劣り視野が狭い人よりも大きい。すると旅行への渇望が大きく行動も旅優先となる。
聴力はもっと分かりやすい。
運動神経も賢い筋肉を駆使出来るかどうかにより得意分野は決定され、練磨を積み優劣が決まる。
そこには意志により目指すと言うよりも練磨を詰める喜びが得られるかに支配される。
読書も集中して文字列を読み取り、少し先に読んだ内容を記憶し反芻出来なければ小説等楽しめない。努力して読書しても得られる快感が無ければ趣味に出来ない。
色々な能力で大きなバラツキが有り、その組み合わせで人が出来上がっている。そう考えると恐ろしいくらい多様な人達で社会は形成されている。そしてインターネットの発展で勝手気ままに発信している。その情報を捉えた人が好ましい人と繋がり、その特異性を際立たせる。それが社会の好ましい方向を目指せば喜ばしいが、その限りでは無いだろう。
その様な社会は誰によって導かれるのが望ましいのか?
どうやら民主主義の弱点が露わになり危険な社会が現れそうな不安を覚える。