“飽きた”はなし


飽きたっぽいです。
「家族と別の部屋を借りたい」と考えること。

今年になってますます気持ちが強くなったので、事あるごとに話していました。
ほぼ毎日考えていました。

でも今日、ふと思いました。

“なんか、飽きたわ。”

毎日喜怒哀楽あります。
なのですが………なんだかあれやこれや足りないことを考えることに飽きました。

最近は「あること」に気づけるようになっていました。
それと、自分の気持ちをありのまま捉えるようになっていました。でもこれってワガママとも言えます。勝手だな~とか、ワガママだな~とか自分で自分のことを思っていました。だけどそう思っちゃうから仕方ない。
そんな風に過ごしてきました。

一見ワガママとも思えることを自分に許してきました。

「我が まま」に思うことさえも自制していた子ども時代。ワガママの経験がなく、そこを満たせていなかったんだと思います。
『自分が感じることを否定しない、時には貫く、そういう自分を許す。』子どもはこんなこと考えずに、その成長過程で自然と体験していることだと思います。
自分が感じることをそのまま感じたり、行動したりすることは、とても大切なことなんだと分かりました。

わたしはどうしても、こうしたい!!
わたしはどうしても、これが欲しい!!

他人からすれば、はいー?!ということだとしても、自分がそう感じちゃうんだからしょうがない!!


これって自然と自分を認めているし、自分を信じているってことなんだなぁと思いました。





『家族と別の部屋を借りたい!!!!』
という思いを
“そう感じてもOK!!”として
相談したり話したりしてきました。

どうにか出来ないかなーーーと、ずーーーっと考えてきました。




今日ふと………
“あれ………最近あのことあんまり考えてないかも。”
“考えたとしても、すぐ終わっちゃうな。”

理想ではあるけど、以前のように燃えたぎるような欲望は消えてました。
消火~&昇華~照れ

願いがいつの間にか執着になっていたのかもしれません。よく分かりませんが。


その辺はよく分かりませんが、「ワガママの体験」が満たされた気がします。


一通り悪さをして真面目に働くみたいな感じ?!


満たされたら、自然と次のステップに行けたり、穏やかさが出てきたりするのかもしれません。


つまり、飽きた=満たされたってこと、ですかね。

🈵照れ🈵