“人手不足”
“生きづらさ”
“精神に関する疾患の増加”
もう、人間の…生き物らしさを抑えつけすぎて
窮屈でしんどくなってることに、気づかなきゃいけない。
ハッキリそう思います。
ルールやマナー、モラルを確立していくことは悪いことではないと思います。
でも………………………
日本は、必要以上に“ちゃんと”し過ぎていると思います。
協調性、調和
素晴らしいことです。
でも………………これも、今の日本は窮屈過ぎると感じます。
もう時代は違う
流れに抗わず、それぞれの特性、性格、感性に沿って心地よくいられる方を選んでいく時代。
無理矢理合わせる必要はない。
自分が感じることを信頼して、発信して、それぞれの個性を発揮していくべき時!
柔軟になってきたとは言え、まだまだ、個性的な者は叩かれ端に追いやられる。
少しでも“世間の正しさ”からはみだそうものなら、○○警察に袋叩きにされ社会から抹殺される。
個性の根っこを理解していますか?
脳やホルモンの影響から、世間の正しさに沿えない人もいることを知っていますか?
一つでも間違いを見つけたら、これ見よがしに吊し上げにするような社会に生きたいですか?
生きづらさを無視して、どうにか生きている人、いませんか?
もうその生きづらさ、手放して良い時です。
生きてるのに生きづらさなんか必要ない!
『どう生きたいか』
それだけを考えればいいのでは?
(ただし誰かを意図的に傷付けることは除く)
もう、“ちゃんとする”必要なくないですか?
もう、我慢する必要なくないですか?
自分の感性押し殺してまで働いて生きていく意味ありますか?
先に生きる者たちが気づけなくて、後に続く者たちが夢や希望に気づけますか?
わたしは、ちょーーーー安心安全無難な選択肢しか気づけないまま大人になりました。
安心、安全、無難
悪くないと思います。
自分で選ぶのならそれで良いと思います。
わたしの場合、自分で選ばず、土の時代を懸命に生きた大人たちが良いだろうと思う道を進みました。
自分の感性をほぼ無視していました。
自分の感性を信じきった今、あの頃を振り返ると、
自分の感性には本当に申し訳なかったと思います。
けど、あの時は仕方なかった…
まだまだ土の時代で、敏感で控え目で怖がりだったわたし。
身近な大人の生きざまが、この世界の全てだと信じきっていました。“物質主義”に振り回されていたような気がします。
でももう、今は違う。
わたしも違う。
わたしはわたしの感性を信じて生きる。
世の中の価値観にはもう振り回されない。
わたしの感性に沿って生きる。
正しいとか間違いとかない。
成功とか失敗もない。
生きていることが全て。
自分を大切に出来たら周りも大切に出来る。
我慢は要らない。
必要なのは寛容な心。
思いやり。
許し合える関係性。
夢。
希望。
理解しようとする姿勢。
多様な視点。
突出している者を追い出さず、出来る限り受け入れようとする集合意識。
世の中の流れから外れた時、とても苦しかった。
苦しみの理由は
「みんなと同じように出来なくて悔しい」気持ち。
流れから外れてもなお、自分らしく生きようとしても出来ない社会のシステム。
“地獄だ”
昔から、心のどこかにずーっと蔓延っていた気がします。
最近また沸々と姿を現しています。
とても居心地が悪いです。
が、
しかーーし!!
これこそチャンス
チャンス
“地獄”は自分の心が創り出すもの。
従って、“地獄”から抜け出すのも自分次第。
自分の居心地の悪さを信じろ。
自分の感覚を否定するな。
世の中の価値観、雰囲気は関係ない。
居心地の悪い“地獄”のようなところにいつまでもいたら、どこかに必ず歪みが生まれる。歪む。
周りとの関係性が少しズレる。
自分を信じきれなくなる。
みんなの普通は要らない。
自分の大切なものが見えなきゃ、苦しいに決まってる。
左脳使いすぎ!!
左脳の出番ありすぎ!!
生き物の原点に戻れーーーー!!!!