個性爆発いいな!!

って、思いました。


わたしも爆発させたいな!

と、思いました。






んが。

はた………………。

(( ・д・)((((・Д・))



違う。

違うわ(ヾ(´・ω・`)

そうじゃないわ。







“個性的”って

ちょっと変わってる、いや結構変わってる

とか

浮いてる

とか

目立ってる

とか。


とかとか。



テレビとかYouTubeとか

公で取り上げられたり、注目される人たちって

とても個性的。


テレビとか特に、世間一般から浮いてると見られる人がちやほやされがち。(わたしの勝手な解釈)


一歩間違えたら、批判される対象になりがち。



待てよ。

(・0・)



待て待て待て。


わたしの概念、わたしの思い込み………凄いぞ。









『個性爆発』

いい!これだ!

と思いました。

図に乗りました。



が………違う。

違う。



『個性爆発している状態があるべき姿』

だよね?


ですよね?


その人らしさが前面に現れている状態(言い換えるなら個性的)が、当たり前であるべき。

個性的な状態を認め合って暮らせる世界であれば、出る杭は打たれず………みんなが杭としてニョキッと出てしまえば、平らになるんだもの。




【最低限のルールや秩序、マナーは理解していることが前提。理解できない人にはサポートをする。】



家族の特性やわたし自身の特性による、日常生活の困り事を体験してみて、今日の時点で感じていること。


特性があることで、悔しかったり悲しかったり苦しかったりイライラしたりすることが増えました。

でもその都度サポートしてくれる人や友達、知人が出来ました。たくさんの人やそれ以上の価値観、世界観に出会えました。

出会いはとても素晴らしいものです。


が………

が。




その前に。


特性があることで暮らしにくさや生きづらさを感じるって何だ?

と。



どういうこっちゃ、と。


まぁ、困っているのはわたしの勝手でもあります。わたしの捉え方です。


何で、わたしはそんな風に困った困ったと捉えるのか。




いやでも、困り感の理由で一つ確かなことはあるんです。

『命の危機から守ること』

ADHDという特性は衝動的、多動的な行動が命に関わることがあります。特に子ども(主に小学校低学年)。

特性の少ない子どもたちと比べると、命に関わる事故に繋がる可能性が高いと思います。

このため、子どもたちを見守る目は1人でも多くあると、健やかな子育てが出来るようになると感じています。


この点は本当に神経をすり減らしました。

心が持ちません………。


そういう時間が長くありましたが、時々立ち寄るマクドナルドで、ハッとさせられます。

「マクドナルドハウス」です。

様々な病があるので、わたしには把握しきれず知識もありませんが………病と生きる子どもたちとその家族を支える場所。


命と向き合いながら生きるお子さんやその御家族の笑顔を見て、思いを馳せながらカフェラテを飲みますコーヒー


そういうお子さんや御家族は、わたしより神経をすり減らしたり、ヤキモキしたり、葛藤しながらも笑顔で生きているんだなぁと想像します。



少しでも安全で安心してみんなが暮らせたら、今より少しはトゲトゲした神経が丸まって、イライラや落ち込みが少し減って、そしたらそれぞれの不平不満も少しだけ減って、

良くないものが減った分、思いやりとか優しい気持ちが増えるような気がしていますニコニコ





神経が尖るような状態だと余裕なんてなくて…

必死にやってるのに何で上手くいかないの?!

何でわたしだけこんなに苦労しなきゃいけないの?!

何でわたしは????

妬ましいし悔しいし苦しいし悲しいし………


そういうループから抜け出せなくなって

そういう自分が嫌になって

ますます余裕がなくなって………………


この世界の良さに気付けなくなっていきました。


本当は、笑顔で過ごしたいのに。

本当は、楽しく過ごしたいのに。

本当は、優しく接したいのに。


出来ないわたし………………情けない、ダメ………。



だから、命を見守り合うことが当たり前になったら

子育てや介護、看護だけじゃなくて、全部が良い方に自然とコロコロ好転していく気がします。





これが、どうしても困っていたことの確かな理由でした。







それ以外の日常生活での困り感は、わたしの捉え方だったんだと思います。
同じことでも大したことないよ~と言う人と、いやこれは大事なことなんです!!と言う人がいます。

それだけのことでした。

でも、仕方のないことでした。



たぶんわたしの困り感は、命に関わること以外、
世間一般とか常識とか当たり前とか、そういうものに当てはめようとしすぎていたから感じたんじゃないかと思います。

特に学校、職場

ズレないようにズレないように。
目立たないように。

ズレないこと、外れないこと、目立たないこと。
これがスムーズに生きていくコツだと思っていました。確かにそうかもしれません。
でもそこに、わたしらしさはありません。
大量生産され個性は不要、最低限の機能を果たしていればそれで善し。というわたしが出来上がりました。


わたしという人間はいるようでいませんでした。




が。
2019年
どうしたことか………
自分の気持ちを留めておけなくなりました。

“わたし、内側から変わる”
という言葉がどこからか降ってくるし!

そこから始まった想いは今日も真っ直ぐ伸びています。


2020年の夏からは、それまでのわたし史上最大の難題が始まりました。
やりようによっては、もっと違う方向性もあったと思うのですが………あの頃のわたしは目の前のことにどう対処するのが最善なのかを1秒毎に判断して生きていました。そんなわたしに余裕なんかあるはずもなく………。

最善を尽くしているはずが、自分も周りも追い詰めていた気がします。
とても反省しています。


でも、わたしは力の限り、精一杯、ベストを尽くして生きていました。
その感覚は、初めてでした。
自分の心と体の限界を超えて、自分で選択肢を見付けて、サポートを受けながら選ぶ理由と根拠を自分で構築し、決断・実行、反省。
そして次へ繋ぐ。

そこまで身も心もボロボロになるほど、力を絞り出した経験は初めてでした。
命を投げ出したいほど苦しくてたまらなかったですが、
大切にしたいことは信じて信じて信じ抜いて、可能な限り自分のためだけに使えるエネルギーと心を絞り出しました。(Hey!Say!JUMPの存在)
JUMPへの想いと信頼だけは、誰にも何にも奪われたくありませんでした。絶対に手放さない!!!とぎゅーーーっと握り締めていました。


でも………………
そんなにぎゅーーーっとしなくても
大丈夫でした😊

絶対に手放さない!とか、ぎゅーーーっとするとか
そんな風にしなくても、JUMPへの想いと信頼はそう簡単に消えないし奪われないと分かりました😊

もうその部分は、何があっても揺るがない、強くて深くて大きくて、でも何かに抗うでもなく、あくまでも自然体である植物(竹やがじゅまるのような…わたしのイメージ)のような。
強い風には無理に抗わず、そよ風には気持ち良くしなやかに柔らかくその身を任せてゆらゆら揺れる。


立ち向かう力強さ
無理に抵抗せず時に身を任せる柔軟さ


とても苦しい時に見えたJUMPの姿から、わたしはそういうようなことを学びました。気付かされました。


信じるぞーーー!と気張らなくても
手放さない!!!と握り締めなくても
わたしのJUMPへの想いと信頼は、自然とわたしの中にあるものになっていました。
でもそれがあることは決して当たり前ではないという前提があります。
当たり前ではないけれど、必ずあるもの。
何があっても揺るがないもの。

こんなことを感じられたのも初めてで、とてもびっくりしましたが、心からの歓びを味わいました。 



それから、一人一人の個性があることは自然なこと。それを認め合い、さらに高め合い、作品やパフォーマンスに向き合って魅せようと共に努力していること。
目も耳も塞ぎたくなるような現実もきちんと見つめ、互いに尊重し合い、支え合い意見を交わす。
その積み重ねによって固く強く結ばれた絆、信頼関係は誰にも何にも奪われることがない。

そんな姿に、魅せられ続けています。
そんな彼らが見せてくれる世界、景色こそあるべき姿で、それこそが真の美しさのように思います。


わたしはこの世に生まれて命ある者全てが、本当は秘めている大切なことを、Hey!Say!JUMPから教えてもらっています。

どんな状況でも、0.000001%の光を見失わず、諦めず今日まで命を繋ぐことが出来たのは
Hey!Say!JUMPという存在のおかげです。
どんなにサポートしてくれる人がいても………………
悲しいですが、、、人間は自分で自分の命を断ち切ることもあります。

わたしにも危機がありました。
自分ではもうコントロール不能でした。
目をつぶれば真っ暗でしたが、部屋の中を見渡すと………必ずどこかにJUMPの気配がある………
会報
グッズ
ウォークマン
ライブDVD
ポスター
ライブチケット………

彼らの気配を感じたら………………
やっぱり生きていたい………………という気持ちが自分の中にあることを思い出すんです………。
どんなに生きたくなくても………。

本当は笑って生きたい
JUMPと楽しい時間を過ごしたい
JUMPのパフォーマンスを見てわくわくドキドキしたい
応援したい


生きていたくないのに、生きたい気持ちに気付くのは………しんどかったです。でも嬉しくもあった。
どちらも本当の気持ちです。




だいぶ長くなりました。。。




個性を爆発させたい!!という思いもグッ二重丸

てことは、今は個性を出せていないということ………??かな、と。

個性を隠したり、矯正したりしなきゃいけないと思わざるを得ない環境を生きてきたのだと思います。
今もかな。

それって、不自然だ。

個性が爆発していることが自然なんだ。

隠したり矯正したりして生き抜いてきたから、そこを抜け出すのには勇気もエネルギーも要る気がします。

でも、もう、わたしはそうするしかないの。
今までの当たり前をひっくり返す。


今までの自分のやり方は出来なくなっちゃったから☺️
笑っちゃうほど不器用で、びくびくあわあわしちゃって、ダラダラ大好きで、気合いを入れて頑張れないってことに気付いちゃって。

さてこっからどうするか!と。

色々とこんがらがっているから、一旦バラさないとイカンな~と。

また、ゼロからスタートだな~と。

ラッキーです。とてもラッキーです星

また新しく、今度は本当に自分のやりたいようにやれるんだから。………やりたいことしか出来なくなったとも言える………🤭

選択肢が減ってしまった………と落ち込んでいたけど
そんなことないじゃない!
わたしにも出来ること絶対ある!
と、強く思えるようになりました。



長い長い………。


おわりーーー!