目を覚ませば、苦しい気持ちしか感じられず、

そんな毎日ならもう必要ないと思い続けていました。今も正直、その気持ちはあります。

望んでもいない目の前の出来事になす術もなく…それでも毎日の暮らしはやってくる、やるべきことがある。

目を開けているのも、息をするのも嫌でたまらないのに、何でこんな毎日がやってくるのか。意味不明です。



もう二度と味わいたくないと決めた感覚にまた陥り、絶望しました。




あの頃のような思いをするなら死んだ方が何万倍も何億倍もマシだと思ったあの頃に、戻った気がしました。


あの頃と状況は全く違いますが、わたしの感覚は同じです。もう二度とあんな思いはするまいと誓ったのに、、、結局また。


あんなに耐えたのにまた耐えなくてはいけないのかと思うと、、、絶望しかありません。

どんなに僅かな救いがあったとしても、今回の絶望から抜け出すものにはなりませんでした。










支えたり助けてくれるとしても、結局、わたしの人生の責任を取るのはわたしだけ。






目を開けるのさえ嫌なのに、何で生きていなきゃいけないのか?


笑えなくなるまで、話せなくなるまで耐えて生きる必要があるのか?




わたしには、分かりません。





笑いもしないし話もしない。

泣いてばかり。



こんな毎日の繰り返しに、なぜ耐えなきゃいけない?

何で耐えてまで生きなきゃいけない?





ここのところ、こういうものに取り憑かれているかのように………取り憑かれていると思います。もしくはハマっている。





状況は………最悪とまではいかずとも、わたしにとっては過酷な状況の中で、心がどんどん良くない沼のような…霧のような得たいの知れない…敵か味方か分からないようなところにズルズルと引き寄せられていきました。




確かな救いがあったというのに

わたしの気持ちは疲れきってしまったのか、僅かながらも確かな、その救いを感じきれずに良くない方へ良くない方へ傾いていきました。





わたしは何が嫌で何が好きで何が欲しいのか…

自分では判断できなくなっていました。





耳にも届いているというのに

目にも映っているというのに

わたしの心は、大切なものたちを感じられませんでした。






確かに感じていたのは、生きるという名の絶望の時間の連続。途切れることのない時の連続に絶望していたのかもしれません。

最も望まない方へ堕ちていく傾きを、もう自分の意思では止めることが出来なくなっていました。









もう、やっぱり、笑顔も自分以外の人間との関わりも、そういうものたちは、わたしという人間には相応しくないものなんだと感じました。


絶望の世界で、生きている自分を否定し続けて、終わりを迎えるわたしが正解なのだと思いました。







顔が能面のように動かなくなり、外の世界が怖くなり、泣いて縮こまるようになりました。




悲しいような寂しいような…悔しいような………

喜びを感じられない自分が………

こんなわたしは存在しない方が世の中上手くいくと思っています。



こんなつまらない暗いわたし、居ない方が何かとスムーズにいくでしょう。



そういう結論に至っています。













なのに。


もう生きる気力は完全に消滅したと思っているのに。


わたしが生きる世界は終わったと思っているのに。






そう思う度に、いつもいつも、何度も何度も………わたしのDNAに刻まれたと感じている彼らが、

わたしを諦めさせてくれない………

いつもいつも………

もう終わりにしたい…今度こそもう終わり………と決めるのに、、、心はもう終わっているはずなのに、

わたしの全身の細胞ひとつひとつが震えて熱を帯びる………ような感覚になる。



頭と心がちぎれそうなほど痛い時も気付けば彼らの歌声を求めてしまいます。




彼らは歌っています。


書かれた歌詞を歌っています。



それなのに、、それなのに。

想いが言葉に乗ってわたしの耳に届いて、言葉の意味を脳が理解し、歌う彼らの雰囲気を感じ取り、心が震えて涙が流れる。




絶望の中で怯えて縮こまっているわたしに届く歌声は、奇跡のような、魔法のような、そういうものに感じられます。




わたしとは正反対過ぎて信じられない世界。








こんなわたしが応援することを許されるんだろうかと感じる。

こんなわたしが応援してはいけないんじゃないかと思う。



彼らのような、奇跡のような人たちをわたしは応援していいんだろうか?わたしに彼らを応援する資格はないような気がしてしまう。







わたしにとって、彼らはそれほどの存在。、