むかーし昔。
15年以上前、まだセラピストになる前。
とあるお店でバイトをしていた時のお話。
そのお店にはガチャガチャ(カプセルトイね)がほんの数台置いてありました。
きょうだい2人を連れて来店されていたお父さんが、このガチャガチャを前にこんなことを言い出しました。
たまたま通りかかった私は、2人のお子さんに同じものを与えたいのに何が出てくるかわからないのは何事か!とのお怒りを受けることになったのです
注)この投稿は、このお父様の行動を非難するものではありませんよー
誰だって怒りをぶつけられるのはイヤですよね。
私は特に苦手だったと思います。
いくら理不尽な理由であってもあわあわと謝ってしまうのです。
結局この時は、このお父様のご希望に添うよう、同じものが出るまで回し、持ち帰る商品以外は戻されご返金という対応になりました。
同じものを探した後のカプセルの山と私(笑)
きっと今だったら・・・
「お父様のお気持ちはよくわかりますが、もしお子様に同じものということであれば、トイ○ラスに行って同じものを2つお買い求めいただくのが良いかと思いまーす」と、にこやかに、しかもバッサリと伝えることができるのになぁー(笑)
怒りの感情が向けられた時、どうしてもそこに合わせて早く解決してしまおうとするのはある意味正しい反応だと思うのですが、昔はそれがひどくあって。
私にとっては、ちゃんと対応できなかった恥ずかしい思い出のひとつでした。
人の感情をまともにくらって参ってしまう。
そこから逃れるために自分の感情を無視してしまう。
バウンダリー(境界線)を作ることがめっぽう苦手でした。
苦手というか、わからなかった。
おそらくこれは私の幼少期の経験が大きく関わってるのかな。
バウンダリーを築くことは、自分を守るためにとても大切なことです。
ポラリティで言うなら、地のエレメントや火のエレメントがバウンダリーに深く関わります。
(それだけじゃない場合もありますが)
ここ数年?ガチャ流行ってるでしょ。
すっごい数の機械が並んで。
少し前までそれ見ると、このエピソードをなんとなく思い出し、そんなこともあったなぁ〜と恥ずかしさが込み上げたりしたけど、今はなくなったな
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ガチャガチャで「ネコのペンおき」というのがあって。
ネコの立ち姿がめちゃ可笑しくてー(笑)
あったらちょっと欲しいと思っているのですが、なかなか出会えません。