写真はレアの部屋に前置いていた緑の高波動招き猫ちゃん

レアが学校で作った入れ物に羽根とちょこんと誇らしげに入っています


何か船に乗って出発~な感じにも見えるな。。

さて、昨日の日記をアップした後、どうも前の会社での私が円形脱毛症になったくだりのエネルギーが私にきていて胸が苦しくなってきました

そうだ。この日記その時の友達たちも読むかもしれない。
そう思った時会社の名前を書いてしまったことは良かったのだろうかとその後会社名は消しました

でも。違う。
そこじゃない。
やっぱり私はまだあの時のことを消化しきれていないのではないか。
そこでちょっと感じてみた。。
するとやっぱり、まだ怒っている自分ととてもがっかりしている自分がいました。
このことはもう随分忘れていたのに。。
ここで出てきたのも、書いたのもやっぱりきちんと向き合う為だったんだな。。と思う。
ありがとう
するとYLオイルの サラ がそこに(胸)に塗るのよ。。
と優しく話しかけてきてくれた。
胸が凄くきつくなってきて詰まって痛くなってきた時だった。
ありがとう。。
塗り終えると本当に嘘のように痛みとブロックがす~っと無くなった

今も横に置いて書いているのだけど、サラはにっこりと私に微笑みかけながら見守ってくれています。。
うん。
これで向き合える。
もうどうしてああなったのかの詳しい内容は覚えてないけれど、もしかしたら私にもいけなかったことがあったかもしれない。
そして関係している人々(私を含めて)それぞれの観点でそのことへの理解、思い、見方が違っていたんだな。
でも。ちゃんと一対一で面と向かって心をわって、話して欲しかった。と思っている。
でも。彼女も怖かったんだな。裏切られたと勘違いしたんだな。悲しかったんだな。。
でも。周りも大人なんだから誰かそのやり方は違うっていえる人はいなかったのかと思う。
でも。大人だからって完璧な人はいない。それぞれがそれぞれの弱さを持っていて、そう思っていたとしても言えない時だってあるんだな。
でも。私だったらああいうやり方はしない。
でも。集団意識ってかなりパワフルだ。
でも。。
昔、小学校の頃いじめられてる子がいた。
私はどうして彼女が汚いもの扱いされるのかがどうしても理解できなかった。
そして私は皆と一緒になっていじめたり無視したりすることは絶対になかった。
逆にその子と友達になった。
私は小さい頃からそういうことが許せなかったし、自分はいじめたことは一度もない。
変な正義感があったのでどう思われても 皆がするから なことはしなかった。
お父さんは義理と仁義をとても大切にしていた人だった。
スナックを経営していたけど、自分が刺されてもけんかを止めたり、泥棒を追っかけたりするような人だった。
血のつながりだけじゃないんだ。
それを体を張って教えてくれたのもお父さんだった。
かっこいいって思った。
でもそのおかげで友達の借金を払う羽目になった。
でもお父さんは友達たちを、心から信用していた。
その血を受け継いだのかな。
それだけじゃなく、私は小さい頃から漠然と 常に神にみられている と思っていた。
神は天使に置きかえることもあったけど。
だから誰の為にとかではなく、結局自分の為に私は神または天使に罰せられないように。とか思ってたのかな。影でごみを捨てたりもできなかったし、とにかくいじめとか絶対に嫌だったし、皆がやるからっていう考え方は全然理解できなかったし、憤りを感じていた。(テレビのドラマ見ててもふつふつと怒りがこみ上げてきたりしてたな)
中学校に入ってそれまでとっても仲良しだった親友2人がいきなり理由もわからずに私を避けるようになった時、どうしてかわからなかった。
その時は直接聞く勇気もなかった。
中学では 不良 と言われる子たちとも中が良かった。
だけど仲間になることなく私は私だった。
でも彼女たちは私の家に遊びにきたり誕生日会にもきてくれた。
家で一緒にツイストを踊り、50’s(その当時はまっていた)の格好をして長さが足りないからヘアピンを何十本もつけてポニーテールにしてお母さんが作ってくれた円形スカートをはいてパーティにも皆で行ったこともあったな。。
そんなことを思い出していると。。
あの円形脱毛症になった時のことがどんどん軽いエネルギーに変わっていった。
いじめをしていた子達は、みんなと違うことをすると自分もそうなるからそうしていただけなのかもしれない。
集団意識っていうものはとてもパワフルで大人の社会だってその影響で人種差別や、概念や常識という名前の下に人を見下したり、判断したり。そういうことが行われている。
こういう所謂スピリチュアルといわれていることをし始めてからこの集団意識の怖さを改めて知ることにもなった。
だから。
時には自分でもどうすることもできずにそうしてしまうことだってある。
NOと言えずに流されてしまうことだってある。
それぞれのイシューがあってそれに沿って行動しているにすぎないこともある。
そう改めて思ったとき、あの時、ああなったのも理解できる気がする。
というより、あの事があって以来私は相談事やプライバシーなことに関して非常に敏感になった。
自分のことはどうでもよいことの方が多いけど。
とにかく、自分のスケール(秤)で相手の秤を計ってはいけないのだということ。
自分の常識というものが必ずしも相手のものと同じではないということ。
これもまたジャッジメントなんだと。
私はあの辛い経験があったから見えたことの方がたくさんあった。
そして気をつけた方がいいことも学んだ。
うん。
あの時のgrudgeはもう完全に手放そう
完全にはまだ時間がかかるかもだけれど。それでいいと思ってる。
あ、ちょっとまた詰まってきた。。
(サラがまた。。)
塗って。
また
うん、そうだね。 (塗り塗り。。)
ふわ~
また軽くなる。。
そう、
だってきっといつかどこかで私が何か傷つけることなんか知らずにでもやっていたかもしれない。After all。
円形脱毛症だって、高校の時、Kちゃんに対して思ったことがこうやって返ってきたように。
バランスなんだな。これも。
だから人生、起こること全てをありがたく受け入れます
本当に無駄がないな~って思う。
うん。
だから皆、それぞれの役を演じてくれてありがとう~~~

そして自分の行動は自分で責任を持たせられるんだな~

このことはもう随分忘れていたのに。。
ここで出てきたのも、書いたのもやっぱりきちんと向き合う為だったんだな。。と思う。
ありがとう

するとYLオイルの サラ がそこに(胸)に塗るのよ。。
と優しく話しかけてきてくれた。
胸が凄くきつくなってきて詰まって痛くなってきた時だった。
ありがとう。。
塗り終えると本当に嘘のように痛みとブロックがす~っと無くなった


今も横に置いて書いているのだけど、サラはにっこりと私に微笑みかけながら見守ってくれています。。

うん。
これで向き合える。
もうどうしてああなったのかの詳しい内容は覚えてないけれど、もしかしたら私にもいけなかったことがあったかもしれない。
そして関係している人々(私を含めて)それぞれの観点でそのことへの理解、思い、見方が違っていたんだな。
でも。ちゃんと一対一で面と向かって心をわって、話して欲しかった。と思っている。
でも。彼女も怖かったんだな。裏切られたと勘違いしたんだな。悲しかったんだな。。
でも。周りも大人なんだから誰かそのやり方は違うっていえる人はいなかったのかと思う。
でも。大人だからって完璧な人はいない。それぞれがそれぞれの弱さを持っていて、そう思っていたとしても言えない時だってあるんだな。
でも。私だったらああいうやり方はしない。
でも。集団意識ってかなりパワフルだ。
でも。。
昔、小学校の頃いじめられてる子がいた。
私はどうして彼女が汚いもの扱いされるのかがどうしても理解できなかった。
そして私は皆と一緒になっていじめたり無視したりすることは絶対になかった。
逆にその子と友達になった。
私は小さい頃からそういうことが許せなかったし、自分はいじめたことは一度もない。
変な正義感があったのでどう思われても 皆がするから なことはしなかった。
お父さんは義理と仁義をとても大切にしていた人だった。
スナックを経営していたけど、自分が刺されてもけんかを止めたり、泥棒を追っかけたりするような人だった。
血のつながりだけじゃないんだ。
それを体を張って教えてくれたのもお父さんだった。
かっこいいって思った。
でもそのおかげで友達の借金を払う羽目になった。
でもお父さんは友達たちを、心から信用していた。
その血を受け継いだのかな。
それだけじゃなく、私は小さい頃から漠然と 常に神にみられている と思っていた。
神は天使に置きかえることもあったけど。
だから誰の為にとかではなく、結局自分の為に私は神または天使に罰せられないように。とか思ってたのかな。影でごみを捨てたりもできなかったし、とにかくいじめとか絶対に嫌だったし、皆がやるからっていう考え方は全然理解できなかったし、憤りを感じていた。(テレビのドラマ見ててもふつふつと怒りがこみ上げてきたりしてたな)
中学校に入ってそれまでとっても仲良しだった親友2人がいきなり理由もわからずに私を避けるようになった時、どうしてかわからなかった。
その時は直接聞く勇気もなかった。
中学では 不良 と言われる子たちとも中が良かった。
だけど仲間になることなく私は私だった。
でも彼女たちは私の家に遊びにきたり誕生日会にもきてくれた。
家で一緒にツイストを踊り、50’s(その当時はまっていた)の格好をして長さが足りないからヘアピンを何十本もつけてポニーテールにしてお母さんが作ってくれた円形スカートをはいてパーティにも皆で行ったこともあったな。。
そんなことを思い出していると。。
あの円形脱毛症になった時のことがどんどん軽いエネルギーに変わっていった。
いじめをしていた子達は、みんなと違うことをすると自分もそうなるからそうしていただけなのかもしれない。
集団意識っていうものはとてもパワフルで大人の社会だってその影響で人種差別や、概念や常識という名前の下に人を見下したり、判断したり。そういうことが行われている。
こういう所謂スピリチュアルといわれていることをし始めてからこの集団意識の怖さを改めて知ることにもなった。
だから。
時には自分でもどうすることもできずにそうしてしまうことだってある。
NOと言えずに流されてしまうことだってある。
それぞれのイシューがあってそれに沿って行動しているにすぎないこともある。
そう改めて思ったとき、あの時、ああなったのも理解できる気がする。
というより、あの事があって以来私は相談事やプライバシーなことに関して非常に敏感になった。
自分のことはどうでもよいことの方が多いけど。
とにかく、自分のスケール(秤)で相手の秤を計ってはいけないのだということ。
自分の常識というものが必ずしも相手のものと同じではないということ。
これもまたジャッジメントなんだと。
私はあの辛い経験があったから見えたことの方がたくさんあった。
そして気をつけた方がいいことも学んだ。
うん。
あの時のgrudgeはもう完全に手放そう

完全にはまだ時間がかかるかもだけれど。それでいいと思ってる。
あ、ちょっとまた詰まってきた。。

(サラがまた。。)
塗って。
また

うん、そうだね。 (塗り塗り。。)
ふわ~


そう、
だってきっといつかどこかで私が何か傷つけることなんか知らずにでもやっていたかもしれない。After all。
円形脱毛症だって、高校の時、Kちゃんに対して思ったことがこうやって返ってきたように。
バランスなんだな。これも。
だから人生、起こること全てをありがたく受け入れます

本当に無駄がないな~って思う。
うん。
だから皆、それぞれの役を演じてくれてありがとう~~~


そして自分の行動は自分で責任を持たせられるんだな~

