お客さんからよく「ゴッホはしませんか?」
と声をかけて頂いていたので、ゴッホをします。



ゴッホについてあまり触れてこなかったのは、
ベタすぎるしみんなもうある程度知ってるやろ
と思ってたからなのですが、私なりにさらっと書いてみます。



ゴッホは言わずと知れた「生きてるうちに評価されなかった」画家で、
生きてる間に売れた絵は一枚だけでした。

ずうっと貧乏。えぐいくらい貧乏。
画家になってからはずっと弟のテオという画商に仕送りをしてもらって生活しています。
画用紙を買うお金がなくて訳わからんダンボールみたいな紙に絵かいたりしてます。
お腹もずっとすかしてるし。かわいそう。資本主義の闇。


ちなみに売れたのは「赤い葡萄畑」という、この絵だけです。
後述しますが、アルルの黄色い家で出来た一枚です。
売れたといっても、死ぬ何ヶ月か前にようやく売れただけで、
ゴッホが生きる希望になるような売れ方ではありませんでした。マジ資本主義の闇。



ゴッホの自画像がこちら。


ちなみに私がYouTubeに載ってるネタで着てる、
謎のTシャツもこのタイプのゴッホです。
ネタと全く親和性の無い、ただのゴッホTシャツです。
ゴッホの自画像は多いけど、このタイプのゴッホが私は好きです。




印象派が好きだというと「ゴッホとか?」とまず名前があがるのですが、
厳密に言うとゴッホは「ポスト印象派」と呼ばれる
印象派より少し後の時代の人です。
印象派にも影響を受けているし、
彼の人生の岐路でちょこちょこ印象派の画家たちが出てきます。

ゴッホが初めてパリに着いたころに開催されていた「印象派展」は最終回でした。
もはやモネもルノワールも参加していない頃の最後の印象派展。
そんな感じの時系列。





ゴッホ展は日本でよく開催されることもあって
開催されれば観に行くのですが、
その度に私が思う一番の感情は「痛い」です。

ポエティックな感想を述べているわけではなくて
「なんちゅう痛いやつやねん」ということです。

かなり粗暴な表現ですが、私はまっすぐそう思っているのでちょっと謝れないです。


ゴッホは絵画にかける情熱が凄まじくて、
私的な印象から言えば、ガラスの仮面の北島マヤみたいな人です。

あの人も情熱は凄まじいけど、見ようによっては痛いと思うのです。
何時間も外から劇団オンディーヌの稽古風景をぶら下がって盗み見したりとか、変やんそんなん、痛いやつやん、と思ったりします。
舞台のチケットに対する執着とか、変やん。おかしいやん。
若草物語の娘の気持ちわからんくて、ほんまに熱だすとか、もう狂ってるやん。
ゴッホもかなりそんな感じの、好きなものに対する異常な執着心を持っています。





ゴッホがゴーギャンと過ごしたアルルの黄色い家、
あれはゴッホが「芸術家たちの共同生活する家にしたい!」と憧れて住み始めたものなのです。

印象派のことを覚えていてくださっている方は
あれっと思うかもしれませんが、そうです、
ゴッホはモネやルノワール、マネやピサロたちの印象派が
共に集まって絵画について語ったり、
同じアトリエで制作したりする事にとても憧れていて、
「僕もあれやりたい」ってことでした。


ただゴッホはものすごい人格的にあれで、
金持ちのエリート家系に生まれた坊ちゃんなのですが
気性が荒かったり、気難しかったりで、
その黄色い家で共同生活したいと思う連中もおらず、
ゴーギャンが来たのも、当時彼は借金まみれで、
ゴッホに激あまの弟テオに「生活費おれ出すから行ってやってくれや」と頼まれたからでした。


もともとゴーギャンに画家としての才能をめちゃくちゃに感じていたゴッホは、ゴーギャンが来ると知って

「ゴーギャン来るんかよ!!!!ゴーギャンに椅子こうたろ!!!!肘かけつきの椅子や!!!!!
わし?!?!わしは藁の椅子でええんや!!!!
ゴーギャンにはええ椅子こうたるんや!!!!
あと絵もいっぱい描いて、ゴーギャン来るまでに大量の絵で歓迎したるんや!!!!
しかもアルルっていう最高の場所や!!!!最高や!!!!」

という、もう、大歓喜っぷりです。
というわけで、アルルの黄色い家でゴッホは精力的に絵を描きます。





有名なひまわりや、夜のカフェテラスもアルルで生まれています。


ゴーギャンとの共同生活も、最初こそうまくいっていて、お互いに機嫌よくお互いを描いたりしていました。
しかしお互いの絵画技法の相違から摩擦が生まれる生まれる。

思い描いていた画家との共同生活じゃなくなり、
ゴーギャンが自分や生活に失望を募らせていると感じたゴッホのペシミズムに拍車がかかり、
ゴッホは自分の耳を切り落とします。
しかも切り落とした耳を、娼婦にあげています。
そして自分は倒れこむ。もう意味不明。
私がゴーギャンなら「は?なんしてんねん?」であります。


共同生活は二ヶ月で終了、
近所から「あのオランダ人やばい」と訝しげに見られ、あの愛していたアルルの黄色い家からも追い出され、
ゴッホはあえなく療養院に入ります。



この間も、ゴッホはとても絵を描いています。
一心不乱に、とてつもない量の絵を描き、
その時間を画家として懸命に過ごしているのです。

これがなんというか、また切ない。とてつもなく痛みが走る。

かなり不器用なやり方で、ゴーギャンと衝突して、
大好きなアルルの家も追い出されて、
病気やから仕方ない側面もあるのかもしれないけど、
これほどまでの才能と情熱がありながら、
孤独感と悲壮感に支配されてしまう精神性、
憧憬や理想と現実が交わらないたびに、孤独感は高まる一方で、
でも彼の絵画に対する健気さ、ひたむきさ、その才能を思えば、
もっと幸せな結末を迎えることも出来たのではないかと思ってしまいます。


だってゴッホが共同生活中に描いたゴーギャンの椅子を見てよ。

自分は藁に座るからといって、ゴーギャンにはこの椅子をあげたのよゴッホは。
肘かけつきの、良い椅子を!
そしてそれをゴーギャンの椅子というキャプションで描いている。

ゴーギャンに対する愛情は、やり方がおかしかったのかもしれないけれど、とてつもない愛情だったのです。
なんというか、とても長男的な愛情だと思います。
うざいねん!ってなるかもしれへんし、私やったらあと一ヶ月早くうざいねん!ってなってるかもしれへんけど、
とても愛です。愛なのだと考えます。キモいしウザいけど、やっぱり愛だと考えます。





そんなこんなでゴッホはサンレミ療養院に入り糸杉という晩年のキラーモチーフに出会います。






アルルの時の絵画も好きなのですが、
私はサンレミ療養院の時の絵画も好きです。





とはいえ体調はよくならず、印象派の父ピサロの紹介で精神科医にかかったものの、
最終的にピストル自殺を図ります。

そして生涯を閉じてから、評価されます。
なんちゅう人生。


たくさんのタラレバが浮かぶゴッホ編でした。
長々かきすぎました。
ていうかこれ、おもろい?大丈夫?いける?