11月12日の単独ライブのことです。
単独ライブのチラシが出来上がりました。
早めに撮りに行こうということでほぼ急遽の強行突破みたいな感じで、
深夜1時頃から作家の日比とバイクで湾岸まで行って2時間くらい撮っていたのですが、
もう後半からの記憶がないくらい二人とも疲弊しきっていました。
たくさん撮ってもらったのですが、
まだ元気でぎゃあぎゃあ騒ぎながら撮っていたものよりも、
後半、雨とかも降ってきて、
睡魔もたぶん全盛期の平家ってこんなんかな?と思うほどの勢いで襲ってきて、
海上の揺れる地盤のところで撮っていたのでわたしも日比も三半規管がいかれ始めて顔面蒼白、
本当に疲弊しきっている瞬間のものが、このたび漁港の女となりました。ありがとうございます。
チラシはこれなのですが、本当にもう200枚くらい撮ってもらったので、
ツイッターやインスタグラムやこちらなどで小出しにして値打ちこいたろ思います。
わたしが気に入っていたのは上のこれなのですが、
顔が見えんしなんか変やというまっとうな理由でボツになりました。
芸人にとって同期というものは同じ年月日に養成所に入所したり、あるいはデビューしたり、
それだけのことなのですが、何かと引き合いに出したり、ありがたがりがちだったり、
なんだか妙なものでして、そして今回の単独に入ってくれてる作家の日比くんは、
わたしの大阪松竹での同期です。
大阪にいた頃は一緒によく麻雀をしたり、ファミレスで朝まで喋ったりしていたのですが、
日比くんはわりとすぐに上の先輩たちにかわいがられだして
わたしのことは虫けらのように扱いはじめたので、
これといって薄味の思い出しかないのに、どういう縁か、またこうして一緒にやっています。
なぜこんなことを書いているかというと、他に書くことがないからです。
単独に向けて、いろんなことを発信して、少しでも興味を持ってもらいたいのに、
わたしは何を書けばいいのか分からず、日比の話を書いています。
これを読んで日比に興味を持った方はぜひ来てください。
かみてに座っていただければ日比のこともちらりと見えることかと思います。
あと前回の記事で、毎日タンブラーで日記書いてく、って書いたのですが、
あれは嘘です。書いてないので。
書いていこうという気持ちはありましたし、今もありますが、書いてません。
いいかげんにしてください。
◆
今回の単独では、映像も大雑把に一生懸命につくっています。
わたしは映像を撮ったり、つくったりすることも好きなので、
作家さんたちのお力を借りながら、ここぞとばかりに気合いれてやっています。
わたしがやりたい、という無謀に近いような提案も、
作家さんたちがきれいにまとめあげてくれて、少しずつ具現化しています。
あとのことを、わたしひとりでどれだけ仕上げられるか、みたいな感じです。
一人でも多くの方に来ていただきたいです。
どうかここはひとつ、ひとはだ脱いで劇場に来てください。
◆
ちょっと前にガレ展に行ってきました。
美しくて不細工で、なめらかでいて強烈な荒々しさで、
気品あるマントヒヒみたいなアンビバレンスが詰まっていておもしろかったです。
なんとっても展示数がすごく多くて2時間くらいいたと思います。
ガレの作品には花がモチーフになっているものが多いとは知っていたものの、
こんなにも花いっとんかえ、と驚きましたし、なんやその花、みたいなのも
すごく多くて、先に言うといてくれた花とかも勉強していったのに、と思いました。
独自性というのはジャンルの垣根を越えて、より一層発揮されるものなのかもしれないと思いました。
ルノワール展には、開催期間中に二度行きました。
こういう時代ですので、偉大な画家たちの絵や作品はインターネットで検索すれば
高解像度で見れて知ることができて、それは本当に素晴らしいことで、
だからこそ、本物をこの目で観られることは、奇跡みたいに思えてなりません。
やはり「ムーランドラギャレット」はとても素敵でした。声が聞こえました。
「ピアノに寄る少女」も可愛くてずっと見つめていました。声が聞こえました。
声が聞こえるタイプの鑑賞スタイルです。
ルノワールが撮った映画も部分的に上映されていて、
その展示も粋じゃないですか、東京の美術館ってやっぱ凄いなと思いました。
わたしは初めて観たのですが、絵画とはまた違う構図がたくさんあって、
でも一瞬一瞬が本当にそれこそ「絵になる」撮り方で、すごくおもしろかったです。
感激したし興奮したので本当はもっともっと色々書きたいのですが、
わたしみたいなのが語りかますのもどうよ、という気持ちが払拭できないうちは
この程度で抑えておきたいと思います。
◆
学生時代に聴いていた音楽を何かの拍子にふと聴いてみると、
四肢からいろんな記憶とかがじわりと滲んできてしまって、
必死でタオルで拭ってみても、あとからあとからどんどん滲んできて、
最終的にタオルが藍色に染まってしまって、ああ汚いなあと思ったり、
でも天日干ししてみたら、あれ意外といけんことないやんと思ったり、
物事にうまく折り合いをつけながら、自分で落としどころを探りながら、
そんなことをし始めたら何もかもが凄いスピードで遠のいていきますので、
決して少数派になってはいけないけれど、多数派になるなら去ったほうがいい、
格下の態度で許されてきてしまった連中は二千年後も格下で、
おいしい果物はぜんぶ嘘だよ、ねじがねじれて、桜の木が無視されて、
たまにはガードレールの隙間からB'zが出てくることもある、
可能性の話をしていきましょう、ばかばかしいからやめましょう、確率の話でいきましょう、
わたしは、今日だって、お腹がすいても、歯の裏を舐めることで凌いでいます。
単独ライブのチラシが出来上がりました。
早めに撮りに行こうということでほぼ急遽の強行突破みたいな感じで、
深夜1時頃から作家の日比とバイクで湾岸まで行って2時間くらい撮っていたのですが、
もう後半からの記憶がないくらい二人とも疲弊しきっていました。
たくさん撮ってもらったのですが、
まだ元気でぎゃあぎゃあ騒ぎながら撮っていたものよりも、
後半、雨とかも降ってきて、
睡魔もたぶん全盛期の平家ってこんなんかな?と思うほどの勢いで襲ってきて、
海上の揺れる地盤のところで撮っていたのでわたしも日比も三半規管がいかれ始めて顔面蒼白、
本当に疲弊しきっている瞬間のものが、このたび漁港の女となりました。ありがとうございます。
チラシはこれなのですが、本当にもう200枚くらい撮ってもらったので、
ツイッターやインスタグラムやこちらなどで小出しにして値打ちこいたろ思います。
わたしが気に入っていたのは上のこれなのですが、
顔が見えんしなんか変やというまっとうな理由でボツになりました。
芸人にとって同期というものは同じ年月日に養成所に入所したり、あるいはデビューしたり、
それだけのことなのですが、何かと引き合いに出したり、ありがたがりがちだったり、
なんだか妙なものでして、そして今回の単独に入ってくれてる作家の日比くんは、
わたしの大阪松竹での同期です。
大阪にいた頃は一緒によく麻雀をしたり、ファミレスで朝まで喋ったりしていたのですが、
日比くんはわりとすぐに上の先輩たちにかわいがられだして
わたしのことは虫けらのように扱いはじめたので、
これといって薄味の思い出しかないのに、どういう縁か、またこうして一緒にやっています。
なぜこんなことを書いているかというと、他に書くことがないからです。
単独に向けて、いろんなことを発信して、少しでも興味を持ってもらいたいのに、
わたしは何を書けばいいのか分からず、日比の話を書いています。
これを読んで日比に興味を持った方はぜひ来てください。
かみてに座っていただければ日比のこともちらりと見えることかと思います。
あと前回の記事で、毎日タンブラーで日記書いてく、って書いたのですが、
あれは嘘です。書いてないので。
書いていこうという気持ちはありましたし、今もありますが、書いてません。
いいかげんにしてください。
◆
今回の単独では、映像も大雑把に一生懸命につくっています。
わたしは映像を撮ったり、つくったりすることも好きなので、
作家さんたちのお力を借りながら、ここぞとばかりに気合いれてやっています。
わたしがやりたい、という無謀に近いような提案も、
作家さんたちがきれいにまとめあげてくれて、少しずつ具現化しています。
あとのことを、わたしひとりでどれだけ仕上げられるか、みたいな感じです。
一人でも多くの方に来ていただきたいです。
どうかここはひとつ、ひとはだ脱いで劇場に来てください。
◆
ちょっと前にガレ展に行ってきました。
美しくて不細工で、なめらかでいて強烈な荒々しさで、
気品あるマントヒヒみたいなアンビバレンスが詰まっていておもしろかったです。
なんとっても展示数がすごく多くて2時間くらいいたと思います。
ガレの作品には花がモチーフになっているものが多いとは知っていたものの、
こんなにも花いっとんかえ、と驚きましたし、なんやその花、みたいなのも
すごく多くて、先に言うといてくれた花とかも勉強していったのに、と思いました。
独自性というのはジャンルの垣根を越えて、より一層発揮されるものなのかもしれないと思いました。
ルノワール展には、開催期間中に二度行きました。
こういう時代ですので、偉大な画家たちの絵や作品はインターネットで検索すれば
高解像度で見れて知ることができて、それは本当に素晴らしいことで、
だからこそ、本物をこの目で観られることは、奇跡みたいに思えてなりません。
やはり「ムーランドラギャレット」はとても素敵でした。声が聞こえました。
「ピアノに寄る少女」も可愛くてずっと見つめていました。声が聞こえました。
声が聞こえるタイプの鑑賞スタイルです。
ルノワールが撮った映画も部分的に上映されていて、
その展示も粋じゃないですか、東京の美術館ってやっぱ凄いなと思いました。
わたしは初めて観たのですが、絵画とはまた違う構図がたくさんあって、
でも一瞬一瞬が本当にそれこそ「絵になる」撮り方で、すごくおもしろかったです。
感激したし興奮したので本当はもっともっと色々書きたいのですが、
わたしみたいなのが語りかますのもどうよ、という気持ちが払拭できないうちは
この程度で抑えておきたいと思います。
◆
学生時代に聴いていた音楽を何かの拍子にふと聴いてみると、
四肢からいろんな記憶とかがじわりと滲んできてしまって、
必死でタオルで拭ってみても、あとからあとからどんどん滲んできて、
最終的にタオルが藍色に染まってしまって、ああ汚いなあと思ったり、
でも天日干ししてみたら、あれ意外といけんことないやんと思ったり、
物事にうまく折り合いをつけながら、自分で落としどころを探りながら、
そんなことをし始めたら何もかもが凄いスピードで遠のいていきますので、
決して少数派になってはいけないけれど、多数派になるなら去ったほうがいい、
格下の態度で許されてきてしまった連中は二千年後も格下で、
おいしい果物はぜんぶ嘘だよ、ねじがねじれて、桜の木が無視されて、
たまにはガードレールの隙間からB'zが出てくることもある、
可能性の話をしていきましょう、ばかばかしいからやめましょう、確率の話でいきましょう、
わたしは、今日だって、お腹がすいても、歯の裏を舐めることで凌いでいます。