例えばあなたがそれを諦めることに、
言い訳も、理屈も、展望も、要らないとすれば、
その鼻の穴の形に合いそうな形の石を海辺で探して
わたしはあなたを羽交い締めにしつつ、
その石がはまるかどうか確認したがることでしょう。

名もなき女の墓の前で、著名人の名言を延々と語るような痛快さを、
名医の前で、自殺願望を何時間も語るようなリアリティを、
公開された映画について、まるで批評家のように理解しがたいと眉をひそらせるくだらなさを、
俗物を批判し、排他することによって
まるで自分が高尚な人間であるかのように思うその俗っぽさを、
それらをつぎはぎにして作った毛布で
包んであげたいあの人やこの人、

行動しなければ何も始まらないわけなんてなくて、
感じ、気づき、思考した時に、
テトラポットは爆発するし、センターマイクが十字架になる、

あの手この手を尽くして生きてみたって、
のらりくらりと戦いを交わして生きてみたって、
報われないこともある、救われることもある、
受身でいることが抗わないことではなくて、
運命に導かれているかのように朝食を選ぶ、
まるで我が闘争、まるでナチス、まるでゲッペルス、

腹が立つのはその浅はかさ、
いかにも自分は守られた存在であるかのような在り方、
立ち位置を理解していない馬鹿さたるや、
先祖まで遡ってどうにかこうにかしてやりたくなるような、


本音はいつも滲み浮き出るもので
その冗談の中に、その語尾の強調に、その生活の堕落ぶりに、

響き渡るトランペット、サックスフォン、トロンボーン、
それらを見つめながら脳みそがなくなったのかと思う瞬間、
わたしは色んなことにけじめをつけようと、
例えばあなたがわたしの小指を切り取りにくるようなオマージュを
わたしは愛せるかもしれないし、
もしくは憔悴しきってしまうかもしれないし、

照らすような笑い声に本音は隠されていても
本質と真実は自分にしか決められないというロードムービー、
これはどうでしょう、あまりにもありがちなストリーティング、
あなたは愛することをやめるか、
目の前にあるフライドポテトを温めるか、
あるいは何もしないというそれも行動、
人生は一度きり、だなんていう言葉に左右されてしまうような愚かさだけはやめて頂いて、
わたしはわたしで、
まるで自分に意思が存在するかのようにして、
今朝の朝食は、グレープフルーツにしたということです。