わたしの尊敬する先輩のうちのひとりの方を身近で見ていたら、
環境や人間性や人間関係なんかで、才能は潰されないのだと、
そんなもので潰されるのは才能でもなんでもないのだと、
絶対に才能は潰されない、潰れたというなら最初から何もなかったのだと、
そういう風に思わせられます。

だから、わたしも、色々と思うところはありすぎるけど、
黙って歯を食いしばって頑張ろうと、そう思えます。

もしかして、その先輩が体現してくれて、わたしがこう思えることが、強みになってくれているのかもしれないと、
最近、すごく、強く、そう思います。


わたしには、そう思わせてくれた先輩がいます。
そんな先輩の姿を見て、ヒントをしっかり掴めたわたしのシナプスも偉大です。
わたしは、それを気付かせてもらえただけ、とても幸運だと感じました。
諦めることと開き直ることはとてもよく似ていますが、
わたしは奮起できています。


そうではない人たちは、一生やっていなさいと、わたしは煮えくりかえる腸を、もはや自分で食べながら、
それもやけ食いしながら、大やけ食いしながら、そう思いました。

考えるべきことは、考えても良いことは、
自分が至らなかった点についてと、
誰も何も悪くなかった、ということだけだと思います。

不平不満のフルコースをしっかりと調理して吟味している時間があるのならば、
いつまででも、やっていなさいと、
わたしは、一刻もはやく抜け出したい、
まだまだ、わたしも同じ厨房の中にいるしかない現状で、
それは、わたしのレベルでありステージであり、
それもきちんと受け止めることは、頭が割れてしまいそうなほどに、
悔しく、情けなく、ついつい大声を出してしまいそうでしたが、

わたしは気付けて、奮起できているから、大丈夫だと、どうどう、と、
とにかく自己をたしなめることで時間を消費しました。


わたしはどんなに間違えたって、環境が悪いなんて火炙りにされても言ってやらない。
絶対に思ってやらない。
そんなのあってありがたいものだと、言い続けてやる。ゴゴゴゴゴ

右にならえの文句や不平不満を言うことで、その未熟さの正当化なんてできっこないということ、
夢を語り、正義を語り、至らぬ点を指摘できるほど、
やることはやっているのか、恩を売っているのか、そして売った恩代で金を生んでいるのか、
くだらなく、つまらなく、そんなことばかりに時間を割いているやつが、
何を成し遂げられるというのでしょうか。

環境や社員に腹が立つことはたくさんある、
なんでそんなことなんねんと考えられないような、信じられないような事態に巻き込まれることもある、
でも、それらは、
自分がやらなければならないことを放置してもいい理由にはならない。
自分が出来ない言い訳なんかにはならない。

現状を打破してほしいのは、環境にしてほしいのかい、社員にしてほしいのかい、
自分がするのでしょう、あなた以外に誰が頑張ってくれるのか、
頑張ってくれるわけなんてないでしょう、
良いも悪いも自分、責任、覚悟、欠如のバランス。


脳みそが全部吹っ飛んでしまいそうになるほどに、スパークリング血管、
たしなめることが出来たのは大量の吸殻でした、
それでも、わたしは、ここで頑張っていきます。

頑張れないやつは死ぬしかないのよ。
飢え死にするしかないのよ。
だめでも食える方法があるのなら、生きていけるのならば、
生きていこうと思える何かがあるなら、
もう頑張ってるふりなんてやめてしまって、すごく下品なこと。

だからといって、見極めは間違えないように、
基点に気付いたら引き返すこともまた覚悟であり責任、
はやく、とっととはやく、遠くに、
もう、こんな思いをしないで済むように、とっとと、とっとととっとと、
たちつてとっととと、と、
とっとと行ってしまおうと、改めて、強く、思いました。
行かなければ、蜘蛛の糸、一緒になって、死んでしまう。チッ!