初めて行ったのは納骨後の5月
2度目は一周忌の3月
3度目は三回忌の3月
4度目はもうすぐ震災後1年になる
今月
本当は3月に行きたかったけど
行ってみると
3月にこだわらなくてもよかったのかなって思う
もう遠路はるばる来たって感じがしなくなってきていた
羽田から2時間弱の飛行機に
福岡から2時間の高速バスで
ようやく彼の本家の
お寺の納骨堂がある熊本小国
また来たよ
自分が一番弱っていた2度目の御参りの時には
納骨場を開けたっけ
狭い空間で
たぶん、じいちゃんとばあちゃんの骨壷の上に
重ねて父親の骨壷があって
その隙間に真新しい彼のがあった
こっちで入れた骨壷がとても入らなかったんだろう
小さい骨壷に入れ替えられていて
背の高い人だったのに
切なかった
その翌年は開けていない
もちろん今回も
遺骨と一緒に彼の魂が
そこにいるわけではないものね
それでも
また私が手を合わせに来る場所は
そこなんだろうけど
そしてその日のうちに
一気に市内まで下りる
小国から阿蘇までまたバスで2時間
阿蘇から市内までまたまたバスで1時間半
いつの間にかこの大変な移動が
いつものことだと思えていた
阿蘇から空港に向かえば
日帰りもありだな
なんて
出会わなければ
訪れていないかもしれない熊本
大好きにならなかったかもしれない
くまモン
親身にならなかったかもしれない
復興支援
亡くした時は出会いをうらめしく思ったけど
いつもいつも目の前には彼というフィルターがかかり
脳裏には想いがはびこり
思い出が渦巻き
喪失感は止めどなく膨れ
自分すら現在から喪失させていた
それらを繰返し繰返し感じていると
いつしか過ぎる時間が
そんな日々を過去にしてくれる
そして私に数えさせる
1年、2年、3年、、
過ぎていく
過ぎていく
やがて自分の今が見えてくる
一緒に過ごした過去の後に
1人で憂いた日々が過去となり
うっすら、うっすら
今の自分が
亡き人を上手に胸に抱いて
長く生きるものは
みんなそうやって生きているんだと知る
老いた私の両親だって
自分の両親を胸に抱いている
伯父を亡くした伯母も
従兄を亡くした従弟も
死は私にもやがて訪れる
その時、初めて見送ることが幸せだとわかるかもしれない
死とは尊いもの
それは逝く人にとってではなく
遺される人にとってだと
少しわかってきた
4回目の熊本1人旅だった