上の子が七夕の短冊に書いた願い(要約)は
(お気に入りの傘を使いたいから)雨が降りますように
七夕の日は晴れますように
🌈
下の子は
(代筆)
縦線4本(短冊上で運筆をしてたw)
ぐちゃぐちゃ書き
同僚の女性がみんなダイヤで。
それを端から見てると、
あー………非ダイヤってほんと、「無駄」が多いんだな
というのがよくわかる。
もう、自分の思考には無駄が多すぎる。
無駄な怯え
無駄な躊躇い
そんなのに覆われすぎてる。
「そういうのを削ぎ落としても大丈夫なんだな」ということを体感できる環境にいるのは幸いなことだ。
母親問題による私の症状は、
「母に対する強い怯え(←実態は自分の中だけの行き過ぎた妄想)」=「他人に対する怯え」
だけど、
母親との直接対決の様子を聞いたであろう父から
上の子 この間、(下の子)くんがお風呂でう◯ちしちゃったんだー
父 お母さん、怒った? (父)なら「何しとんや!!」ってすごい怒るわ。お母さんが怒ったら、「お母さん、怖いよ~💦」ってなるんじゃない?
上の子 お母さんは怒らなかったよ。
という会話を通して、母に対する怯えを軽く茶化されて。
そしたら、その時急激に、茶化されたことへの強い怒りが沸いて。
自分でも思いもよらないくらいの強い怒りだったから、自分で自分にびっくりしたんだけど、
それと同時に
『あぁ……自分にとって「非ダイヤであること」がとても大事なんだな。「非ダイヤであること」に依存・執着しているんだな』
とも思って。
「非ダイヤである」ということに居心地が良くなってしまってる。
非ダイヤのままなら、拗ねたまま何にも勇気を出さなくても良いから。
安心安全の非ダイヤ生活。
最近、上の子が、眠い時に本人の意に沿わないことを私がしてしまったら
「全部お母さんのせいだから」
と言うようになって。
どう対応したら良いのか全然わからなくて、
とりあえず言い負かすのと口封じはしない方が良いのかと思って好きに喋らせてるけど
その度に、ほんと非ダイヤのままじゃ子どもが壊れていくんだなと思って
ずっと逃げ回ってたけど、ノート書こうと思いました。