自分の備忘録として、散々毒吐いてますので、スルーが良いと思われます……。




ホットケーキ





さて、期間が終わった。



●最初の状態

・母のしてきた子育てについて、母と話すことができない。メール等でも無理。過去の子育てについて聞きたいことがあるけれど口に出せない。

・母を責めるような発言をすることに、強いためらいがある。


母親問題に言及すると確実に自分が泣くが、自分が感情的になることをするのは極力避けたい。

母に自分の考えを言うと、言い返されたり、反論されたり、否定・批判されたりすると予想されるが、言い返されると、言い返されるのに慣れていないし、母の言葉に影響を受けるため、自分が辛くなる。辛くなるのを避けたいから言えない。





●期間中の動き

・母親にメールで過去の子育てについて質問した。

→母が私に会いに来て、母側の事情説明があった。

→その後、私側の事情等をメールで伝え、やりとりした。


・母の言動に対する不満をLINEで伝えてみた。

1回目、一連のやりとりの中で初めて(で最後の)謝罪の言葉があった。

2回目、初めて、クソノートの写しみたいな感情的なLINEも送った。




そしたら…

私が強固に縛られていた恋愛、結婚、出産についての母の言葉は、「あなた(=私)自身が望んでいるなら」という前提で発せられていたことが判明。



🌀

えー…………

いやもう、何?


「望んでいるなら」???

当時、全くもって望んでいなかったんですけど……。

だからこそ、吐くほど苦しみながら、後戻りできないという現実と折り合いつけようとしてきたのに。


じゃあ、私はもっと自由に生きても良かったし、そうすることができたはずだったということ?

何それ。


自分で自分を母の言葉に縛り付けて、自分一人で自分を苦しめていた。

ただそれだけか。

言葉の発信者である母は、そんなふうに受け取られているとは微塵も思っていなかったと。

まぁ母のことだから、私が従わなかったら焦って、全て終わるまで言い続けただろうけど。「あなたが望むなら」なんてクソ食らえだ。



ただの独りよがりな妄想に振り回されていただけか。

思い返せば、確かにそうだったわ。


今までの自分の10年、15年、何だったんだろう。

戻れないところまで来てしまったのに。

何してたんだろう、自分。

諦めたこと、自分に諦めさせたこと、いろいろあったのに。

アホらし。



ほんとアホらしいわ。

期間中に書き出したものより、もっとずっと損が大きかったことを知った。

もっと自由に生きて良かったし、これからも自由に生きていいんだ。

🌀




損を認める

=これまでの人生全部無駄だったと認める


期間中は「無駄だった」が自分のものになってなかったけど、今回ので腑に落ちた。

自分のしてきたことは、無駄以外の何物でもない。




この後は、

・感情を書き出す。

・こうなったのは母親のせいだが、そのことについてはどう思うかを考える。

と続いていく。



感情は、悲しいとか悔しいとかか。


一連のやりとりの中で母が、(私が)話してくれなくて わからない中で」と送ってきたから、「それでも、こちらのせいみたいな言い回しになるんだ」と思って、がっかりした。

囚われてた自分がバカだった。母に対してはほんと、これ↓で良いんだと思った。


こう↑対処できるようになったら、「がっかり」じゃなくて、「そう言うよね。」と思うようになる。「がっかり」してたら、まだ期待してるということ。

今後、練習して慣れていけば良い。


母親のせいだということについては、「そのとおりだけど、それを責める必要性は感じない。時間の無駄。」と思うようになった。




●終了後の状態

・「母に言えないこと」はなくなった。


・母の言動に対して、まだ無風ではいられない。

ただ、何度か直接対決してみるうちに、「自分、対決しようとする事柄の選び方が超下手くそだな。選んじゃいけないところを選んでしまうな。」と思って、これ以上対決を吹っ掛けない方が良いと思った。


・かつ、ナリ心理学を知らない母からのメッセージは「(ナリ心理学的に)そうじゃない」と思う内容が多すぎて、でもひとつひとつ解説する気も湧かなくて、まともなやりとりを成立させる気がなくなったから、こちらから吹っ掛けるのはやめた方が良いと思った。


・母の発言は個人の一意見だという意識を持って対応することの練習が必要。否定しない。エセ感謝、エセ肯定、エセ同意。


・今の自分がいる状況を直視する(書き出す)作業が必要だと思う。じゃないと、何に向き合うべきかあやふやなまま進んでしまうと思う。





●最後に

6年前、もう本当に苦しくなって検索しまくって知ったカウンセラーさんも、今回も、(危うさありつつも、連れ出して話を聞いてくださった上司も、)私の話をたくさん聞いてくださって本当にありがたかった。

すぐ迷走する私を、引っ張って元に戻して、導いてくださった。たくさんの気付きをくださった。


まだまだ道半ば。

まだお世話になると思う。


60日間で変わったという実感が持てていない。

非ダイヤの天井が破れない。

ゴミ価値観が蓋をしている。


今後、母と関わる中で、自分の対応が変わっていれば、また少し数値ゼロに近づいたと思えるんだろう。