尾崎放哉の俳句を真似るチバー! | 令和三丈記〜身ひとつにその日の風〜

令和三丈記〜身ひとつにその日の風〜

鴨長明の方丈記になぞらえて、だいたい三丈四方の家に住んでいる私、秋昭(あきてる 世に飽きてる)が飽くなき遁世への憧れと、孤独を愛する日々の戯言を綴るブログです。サブタイトルは中村汀女女史の俳句に対する信条をお借りしました。


日曜日の朝が来た。
暖かい夜明けであった。



明け方。
YouTubeで作家の吉村昭さんの講演録音を聴いた。
氏の著書、【海も暮れきる】について、その主題となった尾崎放哉の没した地、小豆島での講演の録音であった。
私なりに感銘を受けて、そうしたら私も急に自由律俳句をつくってみたくなった。
定型型の俳句の基礎も、まだまだあやしい私などが、自由律俳句などとは恥ずかしい限りなれども試みにつくってみたのです。

 ぼんやりと春の路を歩みスマホを落とす

(我ながら全然、動じなかった。それくらい春の朝にうっとりとしていたのかな。)


   

     野良猫とおなじ眼をして歩く

(警戒してはいないけれど、信用もしていない。私のことを、そんな目で見る野良ちゃんとの邂逅)



   黒いネコどちらが頭か尻なのか

(その野良ちゃん。全身真っ黒の毛並み。ぽっこりした丸い尻尾。遠くからだと猫ぢゃない不思議な生き物に見えた。)



  コンビニで曲がった葱を買う百三十圓

(私は普段は決してコンビニでは買い物をしない。今朝はそのコンビニの現金自動預け払い機に用があったのだ。が、少し良さそうな葱が目についた。三本で百三十円。ただその葱は、三本とも曲がりに曲がっていた。)



   石の如くに丸まった猫と目が合う

(上の句の黒野良ちゃんとは別の野良ちゃんに会う。植え込みの中のスペースにまん丸になっていた。)





   松ぼっくり誰が置いたか一つだけ

(我が家の玄関近くに、ぽつんと一軒松ぼっくり。まさかに、自分で歩いてきたのではないだろう。)



   春の路カードゲームの跡を見ゆ

(結局、定型型に戻っちゃった。私には無縁の物だけれども、持ち主の子供は今頃どうしているかしら。もしかしたら子供ぢゃないかも。




そして昼となり、お散歩へ。
いや、それにしても暖かい。
少し暑さもおぼえるほど。これは、二月の風ではない。

オオイヌフグリですな。



これはなんというお花だらう。


大好きな白梅。これぞ日本の春!


きれいだよ・・・。白梅。


可愛らしい表示板!
孟宗竹も、この時期は筍を生む為に一生懸命なんだろうな。人間の目にはみえないけれども。


ううぅむ・・・。やはり二月の空には見えません・・・。初夏の気配すらする・・。

それでは、さようなら。
 
  🌸ありがとう!HAlL!!🌸

🌳人類みなブラザー!You安堵ミー!!🌳