日希が亡くなってもうすぐ8年経ちます。日希は命日を忘れない様になのか、私の妹の誕生日に亡くなりました。

 

日希が亡くなる日の朝、アパートで日希と寝ていて夢を見ました。筋肉の発達した大きなくりくり目をした人がびゅんびゅん音を立てながら大きくジャンプを繰り返していました。走り幅跳びを繰り返す感じです。そして映像が替わって、結婚前位に若返りした私達夫婦がお菓子などが山になっている前ににこにこ笑って立っていて、傍に旦那が日希に買ってあげた様な白い甚平を着たほっぺの赤い男の子がにこにこ立っていてそのこに「可愛いね」と私が山からお菓子を渡したら、男の子は飛び跳ねて嬉しそうにしているという内容でした。

 

病院で死亡確認をして下さった医師から、「何か夢をみたか?」と聞かれ、その事を思い出しました。支援室の先生からも、日希君が家に来たような気がした、と後で聞いたのを思い出しました。医師がなぜそんな事を聞いたのか分かりません。そして医師の所に日希がお礼に行ったのかも分かりません。

 

7年前の今頃は、日希は生きていましたが、姑から「苦しそうだ、半分、棺桶に足が入ってる様だ。身代わり地蔵の様だ」と言われていました。言葉がきついようだけど、私も、どうしたらいんだろう、最後は私がきっかけを作ってしまうかもと。思っていたけど、暖かくなれば又、元気になるとも考えていました。

 

年数が経過しても、一日も日希を忘れた事はなく、生きていれば同じ13歳位の子をみると、頑張っているねと応援したくなったり、日希も生きたかったでしょ、ごめんねー!と叫びたくなる事もあります。子供の延命ってどうなんだろうと考える事があるけど子供はただ生きたい!って思うよね。親はそれを察して治療を選ばれるんでしょうね。自分は、どうなんだろうと考える事があるけど、出来る最善が出来たんじゃないかなーと、あとはもっと家族で楽しく過ごせれば良かったのかなあという反省があります。

 

日希の妹に、きょうだいを、と考え迷っていたけど、自分は40歳を過ぎてしまい、妹は寂しいだろうけどきょうだいを作らないで出来る事を伸び伸びやらせて、家族3人で楽しく暮らせる事を目標に生きていこうかと思い始めました(*^^*)

 

生活発表会、誕生日会、遠足、運動会、保育園が変わったけど、先生やお友達の支えもあり、全部頑張ってやり遂げて偉いなあと思っています。前の保育園で、「お母さんが、なんでもやってあげて、そんなだから○○ちゃんは人前で発表会、出来ないんですよ!もっと人前に連れ出さないと!」と言われて落ち込んだことがあったけど、今の保育園の先生から「そういうもんですよ。」と言われて不安ながらも以前よりは安心して見守る事が出来た気がします。外遊びが好きだけど、恥ずかしがりや、嫌なものは嫌!こうしなければ絶対動かないとか頑固で、萎える事もあるけど、周りをとても良く見ていて色々気付かせてくれたり、発想が面白かったり、言い間違いや勘違いが可愛くて、毎日が楽しいです。今が本当に有り難いです。