おばんです。


本日は通常業務~雨と腰の痛みで整骨院~⚽FCトレーニング~コアトレーニング~遠野産ホップ一番搾りでフィニッシュニヤリ


昨日は坂ジョグをしましたが、坂の登り降りやら上下動に根幹が耐えられないから腰に負荷がかかる気がして、ケア~コア+休足。


そんな昨日の坂ジョグ。


国道4号線沿いがメインの為ストップゴーが多いです。
ジョグと言っても、現状は強ジョグです。
このくらいをもっと楽に走りたい。
100㎞に向けても、余裕度をあげるトレーニングも必要だと実感。
実際何年か前にこのペースでも心拍数がもう少し低い時もあったような。
シーズン始まると出来ないであろうことはこの冬に積み重ねなければ。
暖冬雪無しを希望します😅



さて続いちばんすきな花。

2話あたりのネタバレ的なこと。

無個性のいい人。

よく公務員っぽいねみたいな感じかな~。

ドラマでは、落ち着きのない協調性のない幼少時代、

親にも先生にも、黙って座ってなさい、いい子にしなさいと。

いい子になることを真面目に目指した結果、

成長するにつれ、大人にとっての都合のいい子に。

いい子の殻を被ったまま大人になり、

無個性のいい人に。

そんな優等生みたいな大人が、たぶん世の中にいっぱいいる。

教育現場でも⚽などのスポーツでも、都合のいい人や使いやすい選手を生み出すシステムじゃないのかと思うことも。

多様性だとかジェンダーだとか、認めましょうという世の中になりつつも、

個性や創造性、他者との違いを認めることがまず足りてない気がしてなりません。


少し前にスポーツ指導員みたいな講習会に参加して、

講師の方が、

スポーツ現場をみたときに、

靴がきれいに揃っていたり、鞄がきれいに並んでいたり、チームとしての規律などは見て取れるが少しぞっとすると。

実際⚽指導者を6年ほどしてますが、

教育的なのか社会性の為かじぶんでもごく当たり前に、

挨拶をする、時間を守る、荷物を整える、話を聞くときは目を見るとか、

伝えている日常。

間違ってるとかそーいうんじゃなくて、自らの意志や意識でそうなってくれたらなと思う部分はあるが、

伝え続けると、『する』ことが当たり前で、それが何の為に必要かが無くなっていくような感覚。

とともに、子どもたちの中で単純に『しない』が悪で『する』ことがいい。

『する』が多数派だと、『しない』にいない為に『する』みたいな。

⚽現場でも、思うことも様々ありますが、

三苫選手だとか久保選手が世界で活躍してようやく、スペシャリストを認めるような状況になった気がします。

それでも原理原則の中で、最善を選択出来る選手ばかり認められ、

原理原則から逸脱した創造性やリスクを犯したプレーは否定するような指導者が多いです。そこにじぶんも含みます。

自らを律し、足で立ち、進むためには繋がらない気がしてならない。

し、飛び抜けた新たな才能や創造力を潰してる気がします。

何が言いたいかわからなくなってきましたが、

どんな生き方もどんな選択も間違いではないんだよ。と、伝えることが出来る人でありたいし、それを体現出来る人になれたらなと思います。

本当の意味で『無個性』である人なんていない。

どこかで最近聞いた、『自分で有る』という自有。

そこに尽きるのかな~。

と、講習とドラマから延々と考えさせられましたが、答えはまだまだこれから探し続けると思います。

そんなところ。

まだまだこれから~👍️