シュガー・マイノット追悼 | Hibikillaオフィシャルブログ「ソコが丸見えの底なし沼」Powered by Ameba

シュガー・マイノット追悼

今日、レゲエ史を語る上で最も重要な人物の一人、シュガー・マイノット氏がなくなったという知らせを目にしました。http://www.jamaicaobserver.com/entertainment/Sugar-Minott-dead-at-54改めてご冥福をお祈りします。

マイノット氏といえば、「他人の曲の伴奏(リディム)にのって全く別な歌を歌う」ことをした最初の歌手という意味で、ダンスホールスタイルの創始者の一人として知られています。その方法論はマイノット氏の主催するユーツマン・プロモーションの弟子であったジュニア・リードやテナー・ソウらのシンガーによって、コード理論を無視して強引にリディムをねじ伏せる「アウトオブキー」としてさらに発展しました。その発想の転換は現在のヴェガス、マヴァードなど多くのヘタウマ系ダンスホール・アーティストにも大きな影響を与えていると思います。マイノットの手法は史上初のマッシュアップといっても過言ではなく、きっとシュガー・マイノットがいなければレゲエと世界のダンスミュージックは違った形に発展していただろうし、キッチリした音楽理論の勉強をしたわけでもなく、歌が上手いわけでもない僕なんかもレゲエアーティストを目指そうとは思っていなかったかもしれません。

さらに彼は、ジャパニーズ・レゲエのオリジネーターの一人、ナーキ氏の師匠でもあり、現在のジャパニーズレゲエ・シーンに与えた影響も計り知れないと思います。

生前直接お会いできなかったのは残念ですが、そういう意味ではレゲエを知れば知るほどその偉大さがわかるミュージシャンズ・ミュージシャンの典型のような人だと思います。

そんなわけで今日は僕の好きなシュガー・マイノットの歌を紹介します。

Mr. D.C.

The Tenors "Pressure & Slide" riddim。ただのガンジャアンセムじゃなく、貧乏人アンセムでもあり、警察批判になっている歌詞も素晴らしい。

A House Is Not A Home

UKにおけるラヴァーズ・ロックの第一人者がデニス・ボーヴェルだとしたら、ジャマイカにおけるラヴァーズ・ロックの第一人者は間違いなくシュガー・マイノット。ビタースウィートな一品です。

Can't cross the boarder

サウンドオーナーでもあったシュガーならではのサウンドネタ。RiddimはGeneral。最強。

Herbsman hustling

この曲はあの「スレンテン」より1年前の1984年にリリースされており、最初のコンピュータライズドの曲のうちの一つです。シュガー先生はここでもやっぱり開拓者。

Never gonna give Jah up

かようにルーツスタイルの曲もよいという全方位エンターテイメントぶりでバーサタイル。97年くらいに出たBreaking Up Riddimにのせたバージョンも最高。

Babylon

この曲からSammy Dread"M-16"へとクロスフェードする瞬間はダンスホールで最もスリリングな時間の一つだ…という意見に同意できる人とベロベロになるまで酒を飲みたい。

そのほかにも、Dancehall We deh, Wicked a go feel it, Vanity, Good thing Going, No vacancy, ghetto-ologyも好きだなー。改めて偉大すぎる足跡です。

最後に私事で恐縮ですが今夜は27Destinyでのラガカップに出演します。出場者希望者も受付中。セレクターは上記の曲をかけてくれるかな。