二分化された異文化 | Hibikillaオフィシャルブログ「ソコが丸見えの底なし沼」Powered by Ameba

二分化された異文化

二三日前、(主にジャマイカの)バティマン問題についての曲を書きました。昨年12月にあったブジュ・バントン逮捕と、その際囮捜査が行われたこと、さらに9月~11月に予定されていたブジュの全米ツアーが同性愛者権利団体の抗議活動により中止になった直後であったことから様々な憶測を呼んでいる事もあり、どうせなら曲にしてしまおうとおもった次第です。

まず前提として思うのは「あらゆる差別はよくない」ということ。今日が命日の福沢諭吉が「天は人の上に人を作らず」と述べたとおり、人種、性差、ジェンダー、職業などあらゆる側面において差別されるべきではないということに俺は何の異論もない。

しかし、ジャマイカのホモフォビアについて外部(主に欧米の)抗議者が永らく、そして決定的に勘違いしている点があると思うのですよ。

それはジャマイカ文化というのは八百万の神がいると考える日本の複雑系文化の対極にあり、世界を二分化して考えるという伝統があるということ。

それはレゲエの類型的な歌詞の主題をみても明らかである。例えば、ネガティブとポジティブ、ザイオンとバビロン、男と女、コカインとガンジャ、白人と黒人、貧乏人と金持ち、ゲットーとアップタウン、警察とギャング、奴隷と主人、ダンスホールとルーツ、JLPとPNP、ドレッドとボールドヘッド、キリストとセラシエ、天使と悪魔などである。そして「バッドマンとバティマン」はそのように二分化されたジャマイカ文化を構成する対立軸の一つに過ぎない。

なぜそのような世界観が醸成されていったかというと、そこには当然奴隷制の歴史がある。理由はわかりますよね?

確かに差別はいけない。それに対しては異論の余地はない。ただし、バティマン問題を提起するのはなぜいつもジャマイカ国外からなのであろうか。「Reggae compassion act」「Stop murder music」にしても俺はそこに全幅の賛同を寄せる事が出来ない理由はそこにある。

4百年前に自らの文化を欧米によって蹂躙されたアフリカ人の子孫達は21世紀の今、再びその文化を「前近代的」と欧米によって否定されようとしている。これを皮肉といわずとして何とえばいいのであろうか?欧米の同性愛者権利団体のみなさんはブジュをはじめレゲエアーティストを叩けば問題が解決するとでも思っているんでしょうか。


てなことを深く考えたい(極少数の)人にはこちらの本もオススメです。
LT1: ジャマイカの性
森本幸代編
2008年 MIGHTY MULES' BOOKSTORE
A5判、ソフトカバー、302P
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こういう話こそまさに「語られることのない物語(Untold Stories)」って事でお後が宜しいようで。