母が自死だったってことを言うべき?言わざるべき?

そんなことを今考えている。

言って何の意味がある?
言って何が変わる?




私は今フリーターであり、
アルバイト先に2,3歳歳下の女の子がいる。


その子は小学生低学年の頃に父親と死別している。私はそのことを彼女から直接ではなく別媒体を経由して知った。


ある日、その子とゆっくり話す機会があり、こちらから話を振ることなく親と死別しているという話になった。



「自分もそうなんだよね。」と言ったら、


何で亡くなったのか、を彼女に尋ねられた。


そら来た。
こんな質問が来ることくらい予想してた。
だけどいつになっても慣れはしない。
なぜなら、それ即ち嘘をつくことを意味するからだ。


私は言葉を濁した。


「病気で……心筋梗塞?…ストレスとか?…そういうのが原因になるとは聞いたんだけど……うん…」


「自分もよく知らないんだけどね…」


って、


知らないわけがあるか。


亡くなった母を最初に見つけたのは自分だった。



もし本当のことを言ったらどうなるんだろう。
いつも嘘をついた後に考える。



それは自分への同情や注目を集めるためではないか?


私に向けた慈愛を引き出そうとはしてないか?


それで人付き合いを優位に進めようとか
構ってもらおうってんなら甘い。


私はすでに助けを乞う段階を抜けているはず。


言って何になるわけでもない。
今の自分は自分のまま、何も変わらない。


劇的にチヤホヤされたり、意中の人に振り向いてもらえたり、行く先々で安否を気にかけてもらえたり、神様の慈悲とやらで宝くじが当たったり、そんなことは起こり得ないのに。わかっているのに。


わたしは一体何に期待しているのだろう。


いつまでも幼子のままではいられない。
自立しないと。


私はいつもこの結論に辿り着くのだ。



※この文章は5/12に書いたものです。

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今日は母の日。

母の日にちゃんとお礼を伝えられる人は素敵だなと思う。

 

(それぞれの家庭の事情もあるので言う必要がないと思ったら言わなくていい、ってことは言っておきたい。)

 

 

 

私はというと、ついさっきまですっかり忘れていた。

毎年、日付をまたぐ頃になって「来年こそは昔よく通った花屋で手向けのカーネーションを買おう」などと意気込むのだが、いまだに実現したことがない。

 

送るはずの相手がもうこの世にいないのだから忘れるのも仕方がないよね、と少し自分を正当化してしまう。

「母の日」というイベントはもうずっと他人事だ。

 

でも、まあ、色々考えはする。

思いは巡らす。

 

「今も生きていてくれたらな」とかね、そういうことばかりを思ってしまうのよね。

 

生きている時は躾が厳しすぎてヒステリックで父と喧嘩ばかりでうつ病だった母を慕う気持ちと憎む気持ちが半々だったものだけど。

 

母が亡くなった時、心のどこかでホッとしてしまったものだけど。

 

そう。

これでもう怒られないで済むんだな、

解放されたんだ、って。

あの時の私は確かにそう思っていて、そして、このことは誰にも言っちゃいけないと思った。

 

今はあの私を叱りつける金切り声さえも懐かしい。

なんて勝手なんだろうね。

 

ああ、でも、ごめんなさい。

私はもうお母さんの声を自力では思い出せない。

美化されて歪曲された残像にただ縋っているだけ。

 

 

 

 

あなたが自ら命をたった日から、

いや、本当はそのずっと前から、

あなたに怒られるたびに私は生きることが辛かった。

幼い頃からずっと消えてしまいたいと願っていた。

 

 

でもね、今ようやく人生が楽しいと思える。

だから、今ならあなたに言える。

 

 

産んでくれてありがとう。

 

 

今日は母の日だ。

 

 

ありがとう。