昨日、本日が最終上映だった映画「マイクロプラスチックストーリー」を観た感想をブログにアップしました。

ブログを読んで映画を見に行ってくれた人が一人でもいたなら嬉しい限りです。

 

私が見に行ったのは5日土曜日の午前中で、この日、上映後は佐竹敦子監督を会場をZOOMで繋いでのオンライントークがありました。

 

 

その中で監督が

 

「前はこれが正解だという風に教えられていたことも、そうではなくなってきていて、今は何が正解なのかも誰もが分からないような状況でもある。だからこそ、自分の頭で考えることが大切。」

 

 

というような趣旨の事をおっしゃっていました。

 

それって、私もずっと考えていた事。

コロナ禍において特に

 

「正解が何かわからない」

 

そんな風潮になってきていますよね。

 

 

 

 

ぶっちゃけ私は、収入とか物理的な面は別として、メンタルという点おいてはあまり影響を受けていません。

 

それどころか、

2020年はいい年だったなとさえ思っています。

 

ばんざーい!(笑)

 

 

(昨年のひとっぷろばんざい取材にて@蔵王温泉善七乃湯)

 

 

 

 

なぜそんな風に思えている自分がいるかというと、

昨年分かった病気のおかげです。

私は三人姉妹の末っ子ですが、一昨年2019年は上の姉を50歳のまさかの突然死で亡くしました。その前から自分の人生に対して思うところはあったけど、

 

「人はいつ亡くなるか分からない、だから事の大小を問わず、他人がどう思うか、どう思われるかではなく、自分が本当にしたいことを、自分ができる事をしよう、出し惜しみなくしよう。」

 

と強く思いました。

 

そう願ったことで、行動したことで

展開が広がったり、叶ったことがありました。

 

 

そんな中、2020年の初春。

みんなが誰もが分からない

 

謎の「コロナウィルス」なるものに

 

振り回されはじめました。

 

もちろん私もその一人でもあります。

 

 

でも春先に、山形でも初めての感染者が出て、感染者の方の自宅に石を投げられたりする人がいるというニュースで、得も言われぬ気持ち悪さを感じました。

 

だって、石を投げている人がさ、

自分だって感染しないとは限らないのに、

どうしてそこの想像力は欠如しているの?

 

感染怖いけど、

その前にウチの姉みたいに、

当たり前に明日がやってくると思って

朝食の支度とかしといて

突然亡くなっちゃうかもしれないんだよ?

 

交通事故で死んじゃう、

なんてことだってあるんだよ?

 

 

心の準備無しに

別れがやってくることってあるんだよ。

心の準備無しに

自分の人生が終わる事って、

あるんだよ。

 

 

どうして生きて一緒に暮らしている人に、

毎日顔を会わせている内に、

連絡取れれば笑顔で会ってお喋りできる人がいる、うちに

 

いつもありがとう

会えて嬉しい

一緒に仕事ができて嬉しい。

 

それを伝えないの?

 

他人の動向にいちいち監視するような、

そんなことに時間使うの、勿体なくない?

 

 

そんなこと思って悶々としてるうちに、

今度は自分の病気が分かっちゃった。

 

具体的に死までの期限が提示されたわけじゃないけど、すごく怖くなった。すごく、すごく怖かった。

 

「いつ死ぬか分かんないんだからさ、」

 

って自分でも思っていたし、

他人にも言ってたけど

 

「いつ死ぬか、の“いつ”」が、明示されてはいないものの、ただ他の人よりも少し色濃く見えてしまうことになって、怖くなった。

 

同時に、なんで私なの?

 

それでなくてもいろんなことをやっと立て直してきて元気になってきた自分がいるのに、なんでまた一から崩すようなことしてくれるわけ?もっとろくでもない生き方してるヤツいるじゃんよ!

 

とか、もう、ひどい号泣でした。

 

だけど、そのお陰で無自覚に無自覚に、お腹の底の方に押し込めていた、ものすごいキッツイ蓋をしていた箱の蓋がバーーーーーンっと吹っ飛んでしまって「本音」がぶわぶわぶわーーーって出てきた。

 

またまたハタと気づかされた。

 

 

【あなた自分で言ってたでしょ?

 

「ああ、これもう、本当にいい加減自分の人生に集中しろってことだよな。

 

「いつ死ぬか分かんないんだから自分のやりたい事、できることを出し惜しみせず、他人にどう思われるかも関係ない」

 

って。

 

「じゃあ、それ、実践してみせてよ。するんでしょ。」 】

 

 

て、神様なのかなんなのか、自分の魂なのか、

見えない何かに言われてるみたいだなって。

ここに書ききれないこと、

書けないこともたくさんある中で、

 

「自分は、私は」どうなのか、

 

たくさん考えた。

 

そこで私は、

その病気で一般的に施される治療法を選びませんでした。

 

そこから、丸1年が経ちました。

体の変化はあります。

でも元気です。

たまに色々考えて泣けてきちゃうことはあるけれど

 

 

元気、どころか、

 

なんかもう、

いろーーーんなことが吹っ切れちゃって(笑)

 

それでもまだまだ勝手に繋いでるままの

余計な思考の鎖ってあるんだけどさ。

 

でもすごいよ、

他人に対しての寛容さの拡がり方ったら半端ないから!(笑)

 

 

自分に置き換えて

あくまでも

 

「その人の選択」

 

なんだ

 

って思えるようになったから。

 

 

あとは、

冒頭での佐竹監督の話も出てきた

 

「正解」について。

 

 

 

正解か不正解か、

二択が難しいことがたくさん出てきた。

 

 

だって正解か不正解か、

それは人の数だけある。

 

だから、

 

「自分の正解は何か」

 

を考える。

 

それが、これから特に大事なんじゃないかな。

 

 

そして、

 

「正解」か「不正解」か。

それって実は時が経ってからじゃないと分からない。

 

そういうことも、

 

そういう事の方が

案外世の中たくさんあるんだ、って事。

 

 

ま、少なくとも私は

 

吹っ切れちゃたお陰で出会った人や展開があった2020年度だ。

それって、お医者さんの言われた通りに選択していたらありえなかったことだ。

 

 

 

だから時には

 

「ああ、“今は正解が分からない”んだな。」

 

そんなこともあるんだ。

 

それを自覚しているだけで、

 

これからの世の中、

少しは生きるのが楽になるのではないでしょうか。

 

昨年から特に、

そんな風に感じている自分がいるのです。

 

 

 

一方で矛盾するようだけど

 

「決める」

 

と腹をくくることも大事だと思っています。

 

こんな世の中だからこそ、

会社や組織という大きな枠組みの中だと、

大きければ大きいほど答えを一本化して出すのは大変だ。

 

 

 

そんな中で

どんな内容であれ「決める」

選択しているトップの方々に

心から敬意を表します。

あら、本当は佐竹監督からの「正解」の話で、

別の事も書きたかったんだけど、長くなっちゃったのでまた別に書きます(*´▽`*)

 

今日はふたご座新月ですかー。

 

アファメーションとか

全然そんなんじゃない記事になりましたが、

これを書きたかったんだろうな、

 

ブログにわざわざしなくてもよいことではあるんだけど、

きっとこのタイミングでアウトプットしたかったんだろうな。

 

しかも、

ここまで言葉にするのに1年かかったんだなあ。

 

この記事が誰かの「正解」になったり、

そっと寄り添うようなものになれば幸いです。

 

 

2021.6月10日 ふたご座新月 

~時の記念日に寄せて~