さて、今回は徳川綱吉のお話・・・と思っておりましたら、
徳川家綱の晩年について色々話し忘れていたことが御座いました。
家綱の時代に幕藩体制は確立し、
日本全国が平和な空気に包まれだしました。
これは家綱自身の器量もさることながら、
3代将軍徳川家光の家臣達の働きに依るところが多かったそうな。
彼らは寛永の遺老と呼ばれたそうですが、そんな彼らが次々と亡くなってしまうので御座います。
1666年、彼らの穴を埋めるべく大老に就任したのが酒井忠清で御座います。
忠清の主導の元、幕府は老中の合議制と将軍の上意による幕政運営が確立。
そして家綱はまず家光の頃発生した寛永の大飢饉への反省から農政改革に乗り出します。
宗門改を徹底し、全国の宗門人別帳の作成や諸国巡見使の派遣といった事を行いました。
更に家綱は経済政策も重視。
当時日本はその流通の全てを海運に頼っておりました。
そこで家綱は河村瑞賢に命じ、新しい航海ルートを模索させました。
その結果確立したのが東廻海運と西廻海運で御座います。
これによって日本の経済発達の基盤が完成したというわけであります。
話者 大宅世学