さて皆様、だいーぶ間が空いてしまいました。申し訳ありません。
忙しいと中々時間が・・・。
さて、前回は豊臣家を大坂の役によって滅ぼしたところまででした。
今回はその後の徳川家康の諸政策について少しだけ触れたいと思います。
まず家康は大名達の城を一つに限定する一国一城令を発しました。
更に武家諸法度を制定したので御座います。
ちなみにこの武家諸法度は、
将軍の代替りごとに発布されたので試験等では文章から時代を答えさせたりするとか。厄介厄介。
家康の発したのは元和令と言います。
この元和令は家康の懐刀の金地院崇伝が起草し、二代目将軍秀忠の名によって発布されました。
また、朝廷が反幕府勢力によって利用されることを警戒した幕府は、
禁中並公家諸法度を1615年に発布しました。
天皇に学問を勧め、更に紫衣に勅許に制限を加えたりと朝廷に対して思い切った統制を行いました。
更に京に京都所司代を設置、朝廷を監視させ更に公家の中から武家伝奏を二名選び朝廷と幕府の連絡役としました。
1619年には広島城を無断で改修した福島正則を武家諸法度違反で改易し、有力大名であっても幕府は処断すると示したので御座います。
さて、次回は徳川幕府の体制について更に詳しく書きたいと思います。
何卒宜しくお願い致します。
話者 大宅世学