さてさて、今回は大変短いのです。
だって書くことが余り無い…ごほっ。
今回は延喜天暦の治についてで御座います。
醍醐天皇の延喜年間、村上天皇の天暦年間は天皇が親政を行った時代で御座います。
藤原氏の権力が大幅に減少したが故で…
延喜年間、醍醐天皇はまず格式を整えられました。これが延喜格式で御座います。更に六国史が一つ、日本三代実録を編集し、和歌集として古今和歌集を編集いたされたそうです。
これら総ては天皇の権威が上昇する物で御座います。
更に律令制を復活させようと902年、延喜の荘園整理令をお出しになられました。この荘園整理令についてはまたいつかお話する事と致しましょう。
更に村上天皇。
このお方は皇朝十二銭の最後、乾元大宝を鋳造されました。
後撰和歌集の編集も行われたそうな。
…うむ。只の事実の箇条書きになってしまった。うーむ…
さて、この延喜天暦の治。これで藤原氏は諦めたのだろうか?
いや、全然諦めて居ない。
それが次回、969年の安和の変に繋がり、いよいよ藤原道長の時代が来るのです。
短く内容も有りませぬが、次回、宜しくお願い致します…
話者 大宅世学