皆様、ようこそいらっしゃいました。大宅世学で御座います。
師走・・・とは師匠さんですら忙しい・・・という事だそうですが、師匠が忙しいなら子も忙しいのが道理。仕事が溜まって大変であった・・・と、私事はここまでに。大変長らく更新しておりませんでしたが、どんな話だったかのぅ・・・。
そうそう。嵯峨天皇が兄の平城上皇との争いを制した処で終わりました。
今回は嵯峨天皇の政治につきまして。
嵯峨天皇は薬子の変(平城太上天皇の乱)にあたって蔵人を設置しましたが、実はそれ以外にも設置した職業が御座います。
それが令外官・・・はて?なんじゃその令外官とは?
令外官(りょうげのかん)とは令に規定されていない追加役職の事で御座います。
律令は律が刑法、令が行政法で御座いますが、時五十年も経つと世界はがらりと変わり、その時その時で必要な対応をせねばならなくなる。
時の朝廷は必要に応じて官職を追加してきたのであります。それが令外官。
例えば桓武天皇が置いた征夷大将軍も令外官だし、蔵人所も令外官。
光孝天皇の時に置かれた関白も令外官で御座います。
ではこの時どの様な職が置かれたのか?
嵯峨天皇の御代の頃、平安京は行政機関というよりは数多の民が生活する都市として発展しておりました。
諸国の物品が届けられ、またそれらが取引され・・・市には多くの人々が参加しその盛況たるや国家の首都として誇るべきものがありました。
貨幣の流通がこれを後押しいたしました。
誰もが己の欲しいものに換える事ができる貨幣によって経済活動は活発になるのですから。
しかしこの成長には苦痛が伴うのは仕方のない事なのでしょうか。
多くの人間が集う故か、不埒な人間もまた現れる。
スリ、強盗などを働く人間が出てきた。
更に取引でのトラブルも増えてきた。約束の品を渡さない、言っていた質よりも悪い質の品を渡してきた・・・。
言い争いがやがて喧嘩になりやがては殺人へとなったこともあった。
こうして悪行が蔓延れば折角発展した都市は衰退するだろう。治安が悪い所に行きたがる者はいない。
しかし貴族がどうこう出来る問題では無い。彼らが裁いた処でちんぷんかんぷんな沙汰しか下せないだろうし・・・。
ここで嵯峨天皇は決意した。京の治安を守る対策組織を設立しよう。
こうして生まれたのが検非違使で御座います。
非道な事、違法な事を検査する使い・・・それが検非違使で御座います。
彼らの任務は京の治安維持、刑事、裁判で御座います。
京を巡回したり騒ぎが起これば駆けつけ、時には逮捕する権利も有する。
更に訴えがあれば裁判を行うという組織。
ちなみに彼らの業務には謀反人逮捕もあったりする。今までは兵隊を送り込んでいたが、これからは違う。
逮捕権を持った警察が踏み込んで行けるようになった。これにより謀反人が兵を挙げる・・・といった事件は激減したそうな。
こうして京の治安の問題を片付けると更に格式の編集を行った。うおーい。またニュー・ワードが。
なんじゃらほい格式とは!
格式とは令外官と同じくその時代に合わせた法律で御座います。
格、とは律令を修正する追加法令。
式、とは律令格の施行細則。
時代に合わせて新しい法律を出したり、その法令の規則を決めたりとしてきましたが、それが溜まりに溜まって凄い事になっておった。
そこで嵯峨天皇はそれら格式を整理して使いやすくした。
これが三大格式の一つ弘仁格式で御座います。
こうして朝廷の法制も整理した事で日本は更なる発展・・・となるわけですな。
ちなみに三大格式、という事は他にもある。
820年の嵯峨天皇の弘仁格式・869年の清和天皇の貞観格式、907年の醍醐天皇の延喜格式・・・以上三大格式で御座います。
ついでにもう一つ。
延喜格式成立の後三大格式の格を分類した類聚三代格が編纂されたり、公的につくられた律令の注釈書令義解や私的につくられた令集解なども編纂されました。
こうして法律が整備され国家が成熟していく中、どのようなことが起こるので有りましょうか・・・。
次回はいよいよ夏の繁樹、藤原氏の繁栄への道をお話いたしましょう。
ここまでお読みくださり有難う御座いました。
どうか宜しく・・・お願い致します。
話者 大宅世学