日々是学ぶ!第十六回 天智天皇の政策、そして崩御… | 日々是学ぶ!

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歴史は糸玉のようなもの、とわたくしめは思っております。
歴史はありとあらゆる出来事が絡まって出来上がる物でどの糸を辿るかで糸玉の色は様々に変化致します。
わたくし大宅世学、未だ未熟者ながら皆様と歴史を観測し語り合いたく存じます。

皆々様、良くいらっしゃいました。
本日は天智天皇の政策とその後の動乱につきましてで御座います。
天智天皇が近江令を制定した事で日本の政府内はかなり整備されました。
具体的には左右大臣の上に太政大臣の位が置かれたそうな。
更に時間毎に鐘を鳴らし勤務時間を正確にしました…え?どうやって正確な時間を知ったのか?
漏刻と呼ばれる水時計を671年4月25日に天智天皇御自らお作りになりこれを利用したそうな。この4月25日は今の暦に直し6月10日、この日を記念し時の記念日となっております。
しかしこの年に問題が起きてしまいました。
先程太政大臣が置かれた…と言いましたが、天智天皇はこの位に自分の息子大友皇子を御指名しました。
されどそれに不満を持つ御方が…
今迄天智天皇の右腕となって働いて来た大海人皇子で御座います。
常に兄の為を支えて来た故次の天皇の位は自分だと思っていたが、どうやら天智天皇は大友皇子を次の天皇にしたい様だと思ったのでしょうな。
良くある話で御座いますが、これがかなり尾を引く事に…
ある日天智天皇が客人と宴会をしていると大海人皇子が槍を持って乱入しそれを天智天皇の正面、広間の真ん中に槍を突き刺した!
「大海人、客人の前で無礼である!話は後で聞く故ここは帰れ!」と天智天皇が喝破したところ「兄上よ、私の心は変わらぬぞ!」と応え帰って行った。
大海人皇子が天皇の位を望むのは至って自然、寧ろ就けぬ方がどうかしておる。それは天智天皇も良くわかっておる。されど…それでも天智天皇は自分の息子、大友皇子を天皇にしたい。
その気持ち、その苦しみは良く判る…
が、私めが感じる苦しみなんぞ天智天皇のご心痛の何万分の一かで御座いましょう。
苦しみの余り天智天皇は遂に病に臥せってしまった。
死期を悟った天智天皇は大海人皇子を呼ぶよう言った。
大海人皇子が天智天皇の元に行こうとしたところ臣の一人が言った。
皇子、帝は必ず天皇の位についてお話になるでしょう。どの様な話をなされても天皇は大友皇子が相応しい、とお答えなさるよう…
(これは大友皇子派の人間の言葉では無い…おそらく、で御座いますが)
大海人皇子もそれを聞き成る程と頷いた。
それはそうで有りましょう。この様な時に私が天皇になりますと云う事は余りにも危険過ぎる。最悪実力を以って排除されるだろう。
兄の処に駆け付けた大海人皇子に向かって天智天皇は静かに云った。
「大海人、やはり天皇はお前が相応しい.お前が天皇になってくれ」
大海人皇子はこれを聞き、兄が己の心を試していると悟った。
大海人皇子は答えた、いえ、兄上。私はこれからゆっくりしたいと思います。天皇の位は大友皇子が相応しい。私は出家して、吉野で余生を過ごす事をお許し下さい、と。
これを聞いて天智天皇は喜んだ。
私の最後の悩みが解決された、最早何も未練は無い…
671年、日本の為に己の手で蘇我入鹿を斬り日本の改革を進めた英雄天智天皇は崩御なされた。
その葬儀の後、大海人皇子は側近達と共に吉野の住居へと去って行った。
これで全ては解決されたのでしょうか…
いや、この後最後の大乱が起こる事になるのです。
当時の人々は吉野へ下る大海人皇子の事を「虎に翼をつけて放す様なもの」と噂したそうな。
さてさて、次回はこの翼を生やした虎、大海人皇子と近江の大友皇子の間の戦いについて語りましょう。
日本の歴史、700年にも満たぬ間に是ほど濃いことが起こったので有りますなぁ…
うーむ。凄いぞ、日本の歴史…
話者 大宅世学