主たる介護者が自らではなく、関心を持つことを装う傍観者となるのが介護施設に入所を
させてしまった場合である。 そう考えるのは私ぐらいであると思うのだが。
2014年9月に母親はグループホーム入居を果たす。それまでは迎えが来てデイサービス
に介護の半分はになってもらい、他16時間余りと自宅にいる日は父親と私で介助と見守りを
行っていたが、結構な頻度で自宅内での昏倒や家族への暴言・暴力が顕著となる。
所謂ヴァリューオブライフの低下をケアマネージャーに指摘され母をもっとよい環境に置く
措置が必要だとの進言をうけて、遠隔地の肉親も含めて家族で話をした結果。父の弱々しい
抵抗に遭ったもののデイサービスで利用実績のあるグループホームなら受け入れにさして障害
もないということでお願いをしたのである。
父は当初自分が最後まで介護するといっていたが、やがて自分の身にも介護が必要になると
いうケアマネージャーの言葉に折れて承諾をした。そして毎日見に行くとも言っていたが、
実際は歩いて青信号のうちに横断歩道を渡れるかどうかの肉体的状況では困難と言うことで
私の仕事がない日に一緒に行くということになった。
わが家での最後の日、母はデイサービスに行くものだとばかりする思っており無邪気に
出かける姿に父は思わず泣きはじめて悄然としていた。そして約束は果たされず、母の許には
私のみがおとずれることになった。
2019年2月の末に母が息を引き取ったのもその施設。都合四年半を過ごしてもらった。
月間最低160,000を食事諸々込みで利用料金として支払うもデイサービス利用時に比べ
3倍以上の経済的負担は父の年金と私の給与の一部で補っていたが、それだけでは済まない。
母は花と着るものに異様に関心を持つようになり週に二度は気分転換に車椅子に乗って外出
をしていた。途中花屋に寄るのが恒例となり20,000円は月に費やしていたし、目につく
服飾品にも相当額を支払っていたのだが、何故かその衣装などが他の人に渡っていることも
度々あり、母が差し上げたものなのでそれはそれで喜ばしくもあったが、まあこの金額自体は
家族全員の財布の中から出ていると思うと腹も立てられない。
母も年金の受給者であり受給日には郵便局に一定のお小遣いを引き出しに行った。勿論、
さして大きい金額ではないものの通帳やカードを部屋の中でぞんざいに放置していたので父親
に告げて自宅で管理をして貰っていたら、今度は通帳を盗まれたということを言うようになり
通帳のみ母の部屋に置いておくことになった。やがて母は引き出す額が少ないので買い物が
できないと嘆息しはじめていた。
一緒に郵便局に行き請求書と照らし施設の利用料金と同じ程度を引き出して支払う恰好を
して父に預けるようにしていた。母の気分はましになった。
何処の家庭でもそうであろうと思われるのは、入所当初から家に帰ろうといわれること、
私が行くと迎えが来たので帰ると担当の介護士にニコニコして言うのを見るのは辛いもので
ある。これを父に見聞きさせないことは私の義務でもあった。
⭕母と父の介護関係者として過ごすうちに しばしば思ったことがある。私だけだろうか。
人はこの世に生まれてきたことの贖いとして日々色々な事柄に暴露され悲喜こもごもを
味あわされているのだと。成功していると感じている人はそれを自分の手柄と思い、そう
でない人は環境の悪さ加減がそうしているのだと。いずれにしてもやがて自らが亡くなる
ときには無意味な思い込みでしかないのではと。バランスシートの 右左が合って終わり。
⭕喪主を二度務め故人のことを一度は善くいい。一度は世間さまの目から隠すように送る。
自分は二枚舌だが、仕方がない。所詮人なので。
写真は母と買い求めた花でありお店のディスプレイ。年末には母の部屋にお飾りも用意した。

