この世の中には例外なく適応されるルールが一つはある。死ぬこと。は、例え肉体を機械

に変えたところで、或いは心に遺るといったところで形而上・下的に必ず滅されてしまうの

で、ゼロリスク管理はあり得ない。

 私の思うところでは父の死も不可避だから責任もなく気に病むことでもないという気休めを

口にされる先達に文句もあるわけでなく、ひとえに茹で蛙になってしまったことが残念なので

ある。こんな風に考えるのが大時代的だとか独りで背負い込んでは駄目とも周囲から諭される

のも別にいいと思う。ただ、人はそれぞれ。中には独善的な私と同様の思いの人がいるならば

理解していただけるだろうと思う。

 電気ストーブで膝下を低温火傷していたりズボンに穴を開けて自分で継ぎを当てていたのを

見ていた。そこでエアコンの導入を考え部屋の改装まで考え行政とも相談をしたが該当する

制度はなく、一時的な転居や部屋の整理ができそうになく断念してしまった。自分さえ気を

つければ大丈夫だと。想像力の欠如というよりは…。

 ガスボンベストーブの暖かさ利便性の裏。大袈裟に言えば未必の故意に近いものであった。

ストーブのメーカーは改良を重ねている。 カセットフー方式のガステーブルにはカセットを

装着をマグネット確実化する機構を実装している。気をつけるべきところを示しているでは

ないか。

 環境は変わってゆくものでありその場ごといいことわるいことが生まれ消えているのに

毎度手を貸さずとも上手くいっていると思う油断が茹で蛙。後悔するよりも先手でしょうな。

 不慮の事故はあれど電気による空気を熱交換する家電単体による事故というのは稀有である

と思う。金はかかっても精神衛生上はこれでしょう。

 深夜に寝付けないので放送大学の放送を観ていると。アンケート作成時の注意点・心懸けを

講義内で述べていた。そんな当たり前のことをというような内容で講義する意味があるのかと

思っていたら、正にこの微に入り細を穿つような場合の数を全てあげてそれぞれに対応する

ことこそが求める適正な範囲の回答を得る秘訣なのである。

 しかしそれを完遂できるほど現代人は余裕がないし家族は別な意味での信頼性で互いを支え

ているわけで、そんなことを起こすことはないが家族を堅苦しくしい絆で結わえない理由。

 茹で蛙にならず、不幸のティーザーキャンペーンにとらわれないよう、今なら他人の諫言や

気づきを少しは考えてみたいものである。


写真は友人宅から徒歩三十分の飲食店で一杯の図。ここは四国の海辺に近い場所で、真面目

に遍路や協会に行くことを考えてみた。こともあった。自らの頑迷さがそれを阻んだ。

言うは易くである。