わが家には救急車が三度来たことがある。勿論、火災時の一度。他は母の昏倒時で頭蓋に 

血腫が見つかった。もう一度が父が小春日和の冬のある日に散歩から帰ってきたときのこと

玄関先で尻餅をついたまま立ち上がれなくなり近所の医院(後のかかりつけ医)に相談連絡

したところ往診をしてくれることになった。

 所見は心不全による身体機能の著しい低下。循環器に広範の影響をもたらしていた。

 中核病院にはその頃は既往症は高血圧・高尿酸血症で三ヶ月に一度内科に通う程度で循環

器内科に通うほどではなかった。が、往診中から中核病院に連絡を取り即座の入院に道筋を

つけてくれた父にとっては命の恩人といってもよい医師が近所に居たのである。

 救急車に乗り込んだのは一度きりなのだが、事前に連絡がついて容態の確認も行いながら

路上で20分程度待機していた。到着後の段取りを行っていたらしい。近所は騒然としていた

が車内は静かなものである。やおら入院の準備が整ったようで発車し病院には5分とたたない

うちに救急搬送ゲートでストレッチャーは降ろされて、私は何もすることがないまま6時間は

過ごしたのであろう。随分待った気がする。

 面会時は集中治療室であった。酸素吸入と尿道カテーテルにバイタルチェックのための

各ラインに繋がれて気力なく呼びかけにも返事はなかった。ひょっとして時間をおかず死亡

してしまうのかと不安を覚えた。が、医師の見立ては心不全ではよく見られる経過状況であり

体内に留まっている電解質の減少(塩分の低減)を現在進めているところで利尿剤の適用と

摂取水分の調整をどのように実施するかを検査により導き出す時間を頂戴したとのことで

あった。

 長くて一月短くても三週間が退院までの目安であった。流石に街中の小規模な病院では検査

と看護にかけられる資源は違うなと入院を勧めてくれた、後のかかりつけ医には感謝を親子

ともどもしていた。退院時には浮腫もなくなり体重が10㎏も軽くなった二三ヶ月は経過の

観察を欠かさぬようにとのお達しがあった。

 であるが、処方薬は中核病院で出されており最初の一月では何の問題なく過ごしていたのだ

が、かかりつけ医に最初にかかった際に薬が違うと文句を父が言うのである。効きが違うと…

この時に私の頭に浮かんだのは薬のソムリエかと…父はジェネリックの利用を求めていない。

が、機能的に同じ他の製薬会社の先発医薬品であるので問題はないとかかりつけ医には言われ

たものの院内処方である故薬は直ぐには揃えられないしルートが違うようであった。

 法の定めなどに興味はなく処方された薬を粛粛と喫薬してくれればいいのだが父は急に頑迷

となりこれを機にかかりつけ医にはかからず大病院に通院したいと困らせるのである。


⭕よくもまあこんなに問題があるものですなあと思われても仕方なし。思い出せば些細な

 ことも問題化してしまうのでしょうかね。世の中には私などには及びもつかないほどの

 厳しい境涯に身を置く人々が百万単位で存在するに違いない。その方々には何の役にも

 たたない愚痴である。しかしながら、不幸化?の入口にある人やそこで躓いている人と

 同様私にはまだ引き返すことができるように準備を進めている。ご容赦いただきたい。

 

写真は火災後も度々研いでいる包丁なのだが未だ湿気が家屋内に蔓延していて錆がつき易く

本年ここに改めて住み始めたときは茶色の包丁であった。包丁研ぎは趣味のようなものなの

で文句も少しであるが一度錆がつくと素人が取り去ることはできないようである。