言ってみれば生活瓦解…の端緒というのは何処までも遡れるのであり自責を嫌う私のような
者にとって、まともの相手をしてくれない公的機関と中の人は将に標的。話は母が施設で死亡
した後、何を思ったか父が介護認定を受けると言い出し主治医のいる公立病院内にある地域
医療連携室を訪れるところから。
中核医療を担う病院であるが故にこの病院では無くかかりつけ医の設定と介護サービスの
選択を地域医療連携室から迫られた。父は当初それに従いかかりつけ医に二月ほど通い、介護
サービスの案内に従いデイサービスに通うことになるの。
介護認定調査がわが家にて行われた際に指定されたケアマネージャーと介護判定をする市の
関連職員が家の中での起居や家屋内の動線、更には食事の状況に排泄などが自力でできるかを
聴取して判定に結びつける一連は母の時とだいたい変わらなかった。認知症ではないところで
いっぱいいっぱい要介護3として認定を受けケアマネジャーの所属する施設デイサービスに
試しに通ったわけだった。
一週間もすると父が思っていたのとはだいぶ違うと通うのをやめてしまった。その内容とは
介護職員が利用者全員に対して一律のサービスを提供するもので、リハビリテーションのよう
な理学療法士が歩行や必要な筋肉の維持のための指導・訓練を主に希望し、そういうのもある
とされていたのに職員がいないためか、今はないとのことで、それなら医療施設で受診のうえ
適正な訓練を受けることがお奨めだということで会った。これは介護サービスには含まれない
ものなので当施設の利用は難しいとされ、サービスの契約前に断られた形である。
その件で地域医療連携室と介護サービスに関する窓口に相談に行くと、できることできない
ことがあるとしか告げられず、別のケアマネージャーを紹介されわが家での介護が始まった。
まあ世の中はそんなものだと思いひと月ぐらいは新たに介護勤務制度の時間短縮勤務を利用
して介護は新ケアマネージャーに委ね基本的な介護プランを策定して貰うこととした。
わが家での父の食事の用意といえば、母がグループホームに入居する前から私の役目と
なっていたわけで、再々鍋を焦がしたり買い物に出かけようとして転倒する母には既に家事
を任せることはできなくなっていたという顛末である。
そもそもは母の発症を認められてから二年の間風呂というものに入ることがなく再三の家族
要望も聞き入れられず逆に臭いと叱られる始末であった。が、入居することになったグループ
ホームで一週間に一ないし二度は入浴介助を得て風呂につかることが出来るようになった。
父のことに戻ると、実際のところ食事は用意されたものより、医師からとめられていた塩分
が一日の許容摂取量6gを一食で超える菓子パンや店屋物のうどんにインスタントラーメンと
いったもの主たる介護者の居ぬ間の昼に進んであちこちに電話の上届けさせるという所業で
何故つくったものや医師の勧める冷凍の食事セットを食べないのかと聴いてみれば、温かく
ないので食べたくないとか味がないとかで、電子レンジで酒を燗するくらいのことはお茶のこ
のくせにである。これを踏まえてケアマネージャーに生活支援利用の申し入れをしたのが…。
⭕今でもよくは判らないのであるが、当地の介護サービスには厳格な定めがあって家事一般
の援助を行う『生活支援』は特段の事情がなければ利用できないのであった。何故かわが父
には適用されずにいた。
写真は母が集めていた石鹸で全て十五年以上前の代物。石鹸としての十全な機能はどうかと
思いながらも使用している。私はテトラポット意匠の石鹸がお気に入りなのだが変色して
味があるのがまた一興。使いにくい形ではある。

