実際のところ使わない家具・衣装などを階下に降ろし一次工事に委ねる前段階となると、

毎日家に来る必要がなくなるので友人宅でのんびり過ごせる筈なのに、工事に関わる書式の

作成や保険に於いては欠落情報の確認で自分以外の戸籍の取得が生じたり、工事車両の駐車場

確保などで単発に地元へ戻る事案が発生する。

 その度に列車を乗り継いで戻るわけだが、一時の利便性や経済性の見かけの良化に頼って

しまう世間知らずであることがよくわかる。ハローワークへの毎月の出頭であったり面接も

今と今後のために必要ではあるし、生活に計画性らしきものがなく当初感じたとおり流された

処で所用を済ませ、また別の場所の流されていくようなことが続き、きっちりした人には我慢

のならない事態である。

 そんな中でも毎月既往症の状態管理で行く病院には処方薬の受領という重大な任務がある

ので毎月の繰り返しとなるこの二つすらまとめて済ませることが営業時間帯の関係でできない

といったありさま。移動自体に楽しみを感じるか或いは労苦に思わないという鈍重さを持つか

といった適当さのようなものなしにはやれないでしょう。

 自身は移動中に書籍を読んだり、ダウンロードした映像を観たりするよい機会と捉えていた

ので、寧ろ降車するほうが億劫であった。

 そんな読書などで見知った確かこんな感じのフレーズがあった。

『宇宙とは自らのことを言い、環境とは自らを除いたものである』

『技術は人を解放し、人の意識を奴隷にする』

以前から抽象的なことを考えるのほうが具体的に計画を立案し行動するよりも好みであった

のだが、現実を直視したくないのか今の今も、これらを考えているのは結果に行き着かない

ことで循環的に何かやっているような気になって少し楽なんだろうなとお気楽にしているので

ある。結論はといえば問題解決型の人ではなかったということでしょう。

 

写真はわが家ではライサーと勝手に私に呼ばれていた米櫃。一年ほどほったらかしであった

からか米に何か虫らしきものがおりがっかりしているところ。一周忌前にお寺さんにお布施

を用意。