
命日を迎えこれから一周忌を営もうかというところであるが、父と母の親族同士で折りあい
が芳しくない。一周忌は別々で営むことは夏以降既定の路線で費用面と時間のかけ方といった
ら、まあ無駄である。なんでこうなったのかは、母の心無い一言からなのだが、その当時に
既にアルツハイマー型の認知症を発症していたのかなあと今は思える。何を言ったかはご想像
にお任せであるが、自分も言われたものの一人かなと考えさせられた。
母から見れば父方は徹底的漁師の家系で商家の出の母からはバイアスのかかった批判対象
であったのではないかと思えるが、人格の変わる前であれば人前で蔑んだ発言はなかったと
思いたい。そんなこんなで人格者の父は二度の一周忌を催行されるのである。
思えば、母も父の無軌道な飲酒の被害者であったのだ。父は度々酔って帰っては洗面器に
新聞紙を被せたものを枕元に(それも母の用意したもの)置いて横たわる姿をよく見たもので
ある。だいたいは用意したなりの結果を招いており、それを母は無言で片付けていたのだ。
ある日、母が味噌汁のはいった鍋を火にかけたまま他ごとをして焦げつかせ、父が舌鋒鋭く
批判した際に、母は拳を振り上げて今家族があるのは私(母のこと)が馬鹿になってやって
いるおかげだと言い放ちながら父に殴りかかったのは半世紀ばかりを家事で費やし無私の人生
をおくっていたことに対する、ささやかなルサンチマンの発露だった。全くそうなのだろう。
もしも包丁を持っていたなら血煙のあがる阿鼻叫喚であったろうに。
聞けば母は父が雀荘に入り浸っていた時にも弁当を届けていたような昭和以前の人格を否定
されていた頃の女性の典型だったらしい。
そうであっても父の一周忌には双方からご臨席いただけることに感謝をせねばなるまい。
おさおさ怠りなく準備を進めよう。
⭕夫婦の秘密はこうして暴かれるのである。父の精神病院への入院や、実はもう一人、死産
であった兄の存在など聞きもしないのに滔滔と母の口から父を貶す言葉があふれるさまに
よくそんな思いに耐えて、子供を育ててくれたとは感謝に堪えない。
写真は父の居室で煤けてしまった灰色の熊さん、もとはオフホワイト。二度ほど洗濯機に
かけて父のマフラーを巻いている。今はソファの上である。