12時間近く寝たことになる。火災以来最も長く寝たのはこの時ぐらいで未だに睡眠障害
には悩まされているのだが。
 起きたときには既に着信履歴が30件以上あり、病院とおぼしきが5件警察からは6件に
肉親からが20件を超えていたことになる。これ程に電話があるということは父が死んだと
いうことだ。さすがにこの時は焦ったがどうなるものではない。
 電話のかかった順に折り返すが病院にはできるだけ早いうちに来院してほしいと伝えられ
警察からは病院から連絡があったが電話に出ないとのことで予め伝えていた肉親に異変を
伝えたとのこと。
 肉親からは病院と警察からは死亡したことを聞いたが、どうして電話が通じないのと
逆上したかのような怒りの連呼も聞き、起きれなかっただけのことだと伝えた。向かう途上
でとのことで病院の最寄駅に2時間後に待ち合わせをすることになった。
 早い電話は四時前にかかりはじめていた。母のときもたかだか5分の距離でも最期には
立ち会えなかった不孝者の謗りも免れず、まさか週内に亡くなるとは思いもよらなかった。
 病院に到着した際には地元警察の別の刑事が既に待っており身柄の確認後に私が行方不明
或いは自殺という状況にないことを連絡していた。肉親がそれをおそれていたとは買いかぶり
である。火災自体も警察からは依然事故の結論を出さずにいるのだろう。火災とは面倒なもの
に違いない。
 担当の看護士と主治医には待合で連絡を取り刑事とともに診療室に入り別々の用向きで
話を聞くことになった。
 診断は火災による火傷であり死因もそのようになっている。最期はまさに力尽きる感じで
麻酔下にあっても譫言を続けていたがぷっつり何も聞こえなくなり臨終となったのである。

 肉親には何で来週半ばといっていたのかと詰られたが医師から経験上伝えたことで、侵襲
が厳しく体力を奪われたこと。それに心不全の急速な進行が麻酔薬の投与と酸素量の按配に
成り立っていた仮にも安定していた状況を転じてしまったと述べていた。要は察しなさい
ということである。
 診断書が程なく手許に届き、遺体の引き取りに関して説明を受けた。肉親はどこか所在なげ
で安置所へは後1時間で案内するということに少しいらだってもいた。

⭕いわゆる地元の病院や介護施設で死亡した場合には葬儀社の紹介や一覧などがもらえると
 経験上知って入るが、今回は隣の自治体で物故したために、案内をしてもらった葬儀社と
 斎場への距離と時間に問題があった。
 母の死去の際にお世話になった葬儀社に連絡して世間での一通りをことをすることにした
 が、今思えば斎場に直接連れて行けば良かったと思っている。何故かは後々。
⭕上掲事項に関連する葬儀社には遺体を移送する車両があるが、これを利用するには葬儀と
 安置で葬儀社を使う必要がある。移送のみでも良いと言ってくれるところもあるようだが
 気もひけるので、移送の専門業者があればそれも選択肢にしたい。
⭕死亡診断書の書式はA3用紙全体であるが必要になるのは半分の死亡診断書とある下側で
  コピーはこの部分A4版の大きさで用は足ります。本証とコピーを三通とりました。
  後に関係する保険の数だけとりましたので5通程度コピーがあれば良いかと思います。

写真は死亡診断書