出火前後の情況を鎮火前後から2時間程度聴取されて
父は自力では家屋から出ることができず消防隊員のかたに速く連れ出すよう言われたとき
そこにいた父の頭部や背中がくしゃくしゃになっているのが煙った空気のなかで見えた気が
した。そしてご近所さんに助けてもらい持ち上げるように外に連れ出し路上に設えられた
本部に座らせたが、問いかけに答えているようだったので安堵の思いもそのままに救急車に
よって病院に向かった。
先に述べたように聴取は繰り返し長い時間…実質2時間程度を経て身につけているものが
スウェット上下でしかも濡れており裸足にサンダルだったため冬の風に吹かれていたが左程
には寒くはなかった。不思議に。
木材の烟った匂いと刺激のある酸っぱい空気の充満する自宅には深夜に戻り、父のいる
病院に必ず向かうよう指示を受けて、となりの自治体の病院だと聞いて訝しく思ったが、
急いで全ての衣類を着替えるのだがこの間も消防のかたの注視を受けてのもので事件の只中
に居ることが実感できた。出火時に一部の部屋が停電したが、消火活動の初めに電気ガスは
停電・閉栓されたため、大型のハンドライトで照らされながらのことで羞恥心を取り戻した。
火元は一階だが二階にも開け放たれた窓から放水受けたのだろう、畳は水の浮いた芝生を
歩くようだった。貴重品の携行を重ねて指示されて手近な袋に一切合切放り込み病院に向か
うのだが、これは実に半年近く続くいろんな意味での困窮の始まりに過ぎなかった。
写真は翌日の実況見分後に撮影したもの

