前記事の 

“自分は、こうだからとか、
こうだ。と決めたり、決めようとしたり、
思ったりするのではなく、

「やるのか、やらないのか」
それが、いちばん大事なことだ。



という言葉を適用してみたら

やっぱり、かなり楽になったと感じることができました。

そして、 さらに


自分というものが、濃くなったような気がします。


(この記事は、あくまでも、私自身の体験から感じたことです。)


言われのない他者からの無責任な評価を
これでもかというほど、
大勢の人たちから言われ続けてきたということも、大きなこと(悪影響)でしたが


“自分は、こうだからとか、
こうだ。と決めたり、決めようとしたり、
思ったりするのではなく、

「やるのか、やらないのか」
それが、いちばん大事なことだ。



という、↑↑↑この言葉も
私にとって、とても大きな、『良い影響』となる言葉だったと思います。



自分に対する自己否定や、ネガティブな評価を持っていたりすると

本当は丸○かった自分というエネルギーを

私は**だからダメだし、他人から喜ばれることはない悲しい
などという 
ネガティブな評価を自分が前提として持ってしまったり、思い込んでしまうことで

自分本来の丸いエネルギー○を
ネガティブな評価や思い込みから
本来の○丸ではない形にしてしまっていたのかもしれない。
↓↓↓
ネガティブな評価や思い込みから
自分の本来のエネルギー○を
本当は○だけど、△にしてしまう。



自分という人間を、良くないもの(良くない状態)だと評価したら
○丸だった自分を△三角だと言ったり、本当にそう思ってしまって、
自分で自分のエネルギーを欠くのかもしれないと思いました。
本来なら丸いお煎餅を自分で割って、三角の形にしてしまうようなイメージです。


だから、自分の本来のエネルギーを
十分に出すことも、使うこともできない状態になっていたのかなと思います。


また、対人関係などで
そこまで気にしたり、小さくなっている必要もないのに
ネガティブな体験が多すぎたことから
自分で自分を否定して、自己評価が低くなると
自信もなくなり

私の場合は、
これ以上、いじめられたくないから
なるべく目立たないように
自分をできるだけ小さく見せるために
アクションや行動も小さくして自分を守ろうとしていたため、

(普通に聞こえる程度の声でも)言葉をはっきり言うなんてもってのほか不安
(↑普通の挨拶や返事など。声を出す場面でのことです)
そんなことしたら目立ってしまう😱
目立ってしまったら、余計に目をつけられて、いじめられる('°◻︎°` ; )
できるだけ小さく縮こまる不安
さらに縮こまる不安あせる

という悪循環。

我ながら、そんな状態でよくやってたなと思う😂
我慢や思い込み、恐怖不安のオンパレードと、その悪循環みたいになってた悲しい

書いてみると、笑っちゃうくらいだけど

それでも、自分のこととしては、 
とても深刻に悩んでいました😥


それでも、今は、少しだけ、
自分が△になってしまっていたカラクリみたいなものが、分かってきたかもしれない部分と

自分が、より本来の丸い自分○に近い状態で行動できるようになってきたことで

他者からの言われのないネガティブな評価や言いがかりから、離れて
その影響下からの行動ではなく

余計なことは考えず、


「やるのか、やらないのか」
それが、いちばん大事なことだ。


というところから行動をスタートするようになってきたことで、
行動を取ることと、気持ちの面で楽になったと感じるところは、良い意味で大きな変化だと思います。



そして、自分が濃くなったと感じるのは、

自分を、思い込みや他者からの言われのない言葉の数々から評価して、
自分で自分を良くない状態にあると判断したり思ってしまっている時点で

自分の本来のエネルギーには、
亀裂が入ったり、
圧縮されたり、
分散されたり・・・と
濃くなることとは正反対に
薄くなってしまうのかなと思います。

そうして亀裂を入れたり、圧縮したり、分散してしまうのは、結局、自分が自分にしていたことだった😱ということもわかりました。

自分で自分のエネルギーを、割ったり、圧縮したり、分散していたらしいです😱
他者から言われたりされてきたネガティブなことを、こうした部分にも、自分で自分に適用してしまっていたのでした😱

幼少期から、いじめや意地悪をされて困っているだけではなく、
そうした行為をされすぎてしまったことから、
幼少期の自分は、そうしたいじめや意地悪を真に受けてしまって、
自分は他人から見たら、不要で役にも立たないダメな人間なんだと思ってしまい、
いじめや意地悪をしてきた人たちと同じように、自分で自分を良くない人間だと思ってしまって、自分で自分を否定してしまうということを、こうした部分でもやっていたようです。

(特に、幼少期では、大人になってからのように、物事をあらゆる面から考えて対処するのも難しく、
当時の、子どもなりの頭で考えた対処法でしのいで過ごしながら、その対処法を、大人になってからも無意識に使用していたため、なかなか改善することもできずに、
様々な年代に応じての変化がありながらも、目立った解決もできないまま、年月だけが過ぎていたように思います。)


自己否定や自己評価が低いとは、いじめや意地悪などが原因で、自分自身のことも否定してしまう etc.......という状態だったりする場合もあるのかなと思います。


他人からの否定の言葉や中傷されたことを
あまり真に受け過ぎずに
(真に受けてしまったことで、自分で自分を否定したり、中傷せずに)


“自分は、こうだからとか、
こうだ。と決めたり、決めようとしたり、
思ったりするのではなく、

「やるのか、やらないのか」
それが、いちばん大事なことだ。



↑この言葉のように

余計なことを自分に当てはめ過ぎずに、行動を取ることができるということが、理想的だと思います。