UTMF’12 夫婦参戦記 | だって、トレイルランニングなんだもん!!

UTMF’12 夫婦参戦記

師匠の思いの詰まったUTMFに夫婦で参加。
旅は42時間30分におよび、無事大きな怪我も無く河口湖大池公園に帰ってくることが出来た。
夫婦で参加した目的は、困難をふたりで乗り越え完走し、その晴れ姿を師匠に見て欲しかったから。
ボクは故障を引きずったまま、当然練習不足。妻も引越しや式、慣れない地での生活のために練習不足など、完走に向けての不安要素を挙げるときりが無かったが、
「絶対に完走できる」と思っていた。少ない時間、限られた環境の中でそれだけのことはやってきたと自負していたから。

スタートの地、河口湖大池公園に妻の母が応援に駆けつけてくれた。
口にはしないが、やはりいくつになっても娘のことが心配なのだと思った。
スタートはかなり後ろから、そしてゆっくりとボクたちの旅が始まった。

A1まで予定ではは3時間30分を見ていたが、無理ない範囲で走って2時間30分くらいで到着。
トイレがかなり渋滞していたが、その分、十分に休憩が取れた。
サムズアップの金子夫妻からスイカやシュークリームを頂き、ご満悦。

結局A1を出たのは入ってから30分くらい経っていたか。
杓子山の林道まではゆっくり走り、傾斜がきつくなると歩く。。。そして、また走る。を繰り返す。
最初の睡魔が妻を襲う。昨晩は緊張であまり眠れなかったらしく、当然の睡魔だが、寡黙に歩き続けた。
林道の途中で日も暮れだし、ライトを取り出す。
林道の終点 大ザス峠で、急に寒くなりだし、アクティブシェルフーディーを取り出す。
あわせて、ジェルで補給。
この補給で眠気が覚めたのか、難なく杓子登頂。
このあたりからだったか、妻の咳が気になりだす。
本人は問題ないと言っているが、意外にエネルギーを消費するので、先のことが心配になった。

杓子の下りでは、岩場での渋滞を繰返しつつも、走れるところは気持ちよく走りA2の二十曲峠へ。
トイレを済ませ、ジェルで補給した後、出発。

石割の上りも楽に進めることが出来、そこからの下りもなかなかのペースで下っていく。
序盤に感じていた踵やお尻の痛みがそれほど気にならなくなっていた。
妻には少し速いペースかと思い、大丈夫かたずねると「大丈夫!」と元気な声が返ってきた。

しかし、A3の山中湖に到着する頃には、ジェルのせいで気分が悪くなっていた。
まりも汁を持っていくが、あまり食が進まない。
とりあえず、胃薬を飲んで、回復を待つ。
気温の低下もあると思うが、まだ序盤。ここから補給がままならないのは正直痛いと思った。

A3を出たのは予定より1時間以上早かったように思う。
妻の体調が気になったので、ペースを落として進む。
明神山に登りきったら、三国の登りに備えエネルギー補給を妻に促すが、ジェルは無理そうだったので、
ゼリー系の補給食を優先的に取るように勧める。
三国の登りでは終始咳き込んでいたが、それでも後れを取ることなく登りきった。
ここからのトレイルは気持ちよく走れるところだが、時間に余裕もあったし、妻の体調が気になったので終始歩きで進む。
ふと視線を下に落とすと、御殿場の夜景が眩く、ボク等の旅を彩ってくれた。

A4道の駅すばしりに到着。
あたたかい休憩室(道の駅内のレストラン)で腰掛、なめこ汁と甘酒を頂く。
すばしりまでの下りで追い抜かれた加波一族のO氏とお話しながら休憩。妻に胃薬を頂く。
しばらく休んでから出発。

すばしりあざみラインのロードを歩いて進む。
ストックをコツコツ付きながら進む。
歩く速度は妻の方が速く、しばらく進むと差が数メートル開くので、小走りで差を縮める。
目の前に富士山のシルエットが雄大に見え、さらにその上には星、星、星 びっくりするくらいの星の数。

ロードから自衛隊敷地を経て、御殿場口五合目の太郎坊へ。
箱根山方面の空が朝焼けで赤く燃えていた。
ここのエイドは食べ物も充実していたが、やはり妻は食べられず、妻の分のカップラーメンはほとんどボクが頂いた。
長居すると体が冷えるので、早々に出発。
ロードを走るが、お腹がいっぱいで走れない(汗)。
しばらく歩いて、胃が軽くなってからゆっくりと走り出す。
ロードの走りはお尻や踵に応えるので、電柱1スパン歩いたら2スパン走る。1スパン歩いたら、2スパン走るを繰り返し、水ヶ塚公園へ。
すっかり日も昇り、富士山が綺麗にその姿を現した。

トイレを済ませ,水餃子入りのうどんをふたりで分け、配っていたアミノバイタルのゼリーを頂き出発。
スキー場や足場の悪い登山道を下り、鉄塔下の整備道を抜け、こどもの国へ。
長いとは感じたが、嫌気がさすほどではなかった。

ほどなくしてこどもの国に到着。
1時間くらいの休憩を予定していたが、妻の体調も回復気味だったので30分で出発することにし、
ドロップバッグから交換用のジェルや着替えを出して準備を進めた。
ここで頂いた静岡茶が非常においしく、癒しのひと時。
また、おにぎりも頂いたが、飲み込むのに苦労するため味噌汁に漬け込み胃袋に流し込んだ。

いざ、出発の時間になってから、「ちょっと待って」と妻がそそくさとトイレの方に。
先にトイレは済ませているはずだが・・・待ちぼうけしている間に少し心配に成りだす。
10分くらいしてからか、妻が戻ってきた。
どうしたかたずねると、歯を磨いていたと・・・。
ふたりともドロップバッグに歯磨きセットを入れていたが、ボクは面倒だったのでやめたのだが、妻はしっかり歯を磨いてきた。
そして、いつものように長く。
心配を肩透かしされたのと、理由を言うでもなく「ちょっと」が長かったことにイライラが少し募って来た。
ボクが脹れていることが気になっているようだったので、
「時間がかかったことに怒っているのではなく、30分って約束したのに、理由を言うでも無しにもなしに待たされたことに怒っている」と告げると、
すぐに理解してくれた。
最後に「女の子は仕度に時間がかかるものよ。」と付け加えて。

こどもの国を出てからの林道は妻のペースが速い。
時間を気にする旅ではないのに、さっきの件で自分を責めているかのようにも感じるが、
妻は楽そうに走っているので、そのペースを乱したくない一心で続いた。。。が、正直ボクにはしんどいペースだった。
しばらくいいペースで走ってからは、歩いたり走ったりを繰り返す。
トレイルを抜け、鉄塔を何回か超えたところに北山のウォーターステーションがあった。

気温も上がってきており、ここではガッツリ給水したかったが、
ひとり500mlと告げられ、がっくし。。。
そんなボクを見かねて、補給水量が少ない妻が自分の分を分けてくれた。

そして、無限鉄塔ゾーンに突入。
日も高く、暑さもピークに達する時間帯。蜃気楼のように目指す先に延々と鉄塔が続いていた。
STYのトップ集団が追い抜いていく。
シングルトラックのため、後ろからの足音に気を配りながら、進む。
延々続く鉄塔と、STYの選手が近づく度に脇にそれることに嫌気がさしたころ、何とかロードに出る。
練習不足からくる筋力低下のせいか、股関節が痛み出す。
ロード、トレイルを抜け、やっとこA8西富士中に到着。

そこには、まるままさんや見知った方々が。
体育館の医務班として円谷先生がいらっしゃったので、少しお話し、ある部分がすれて痛かったので、ワセリンを頂く。
そしてストレッチのサービスを受け、焼きそばを頂き、まるままさんに30分後起こしてもらうお願いをしてから横になる。
眠気を感じていたわけではないが、ザックを足枕の替わりに横になると、ものの数秒で落ちていた。
・・・
そして、自然と目を覚まし、ごろごろしていると、ままさんがやってきた。
横で寝ている妻をゆすり起こし、
ゆっくり仕度を進め、装備チェック、ドクターチェックを受ける。
ボク等を送り出す六花先生と握手を交わしたとき、「ここからが勝負だ!」と言う思いとともに、心のそこからエネルギーがみなぎってきた。

天子登山道までロードを進む。
休憩の甲斐もあって妻の足取りも軽い。
ボクはまだ股関節に違和感が残るものの、危険レベルでないことに安堵感を覚えた。

そんな中、何気ない会話で妻の気持ちを落としてしまった。
「さっき走りすぎて疲れているから本栖湖までは全部歩きね。」
嫌味や、皮肉を込めたつもりはなかったが、妻としては自分がペースを上げたことでボクが疲弊してしまったことを気にしてしまったようだ。
視線を落とし、もう前には出ないと言い、ボクの後ろに付く。それ以後、ボクの問いかけに答えてくれない。。。
これから難所の天子山塊に向うというのにこのままではまずい、いや、それだけでなくこのままゴールしても何の意味もない。

責めたつもりはないことなど、とにかく誤解を解くことに注力。
そして、これからは「何でも自分で溜め込まず、そのときに話して欲しい」と妻から言われ、和解。
がっちり握手を交わして天子山塊に挑むことになった。

登山道の入口でストックを準備し、いざ天子へ。
登りではボクが先導し、段差が低いとろこを探して進む。
腕時計の高度を確認し、100m毎にアナウンスし、後何m登りが続くか確認しあう。
長者ヶ岳へ向う途中でライトを点灯。
熊森山手前までは苦手なイメージはなかったが、ペースのわりにボクの呼吸が荒いことに気づき、妻から補給を促される。
ボクのペースが上がらないところでは妻が先行しペースを作っていく。

OSJの試走ツアーでこのパートは走っているものの、コースレイアウトがまったく頭に残っていない。
熊森の登りがこんなにも長いとは思わなかったが、イヤになることはなく、逆に前を行くペースの遅いランナーが邪魔にすら思えた。(失礼な言い方ですみません)

熊森の山頂での給水をあてにしていたら、売り切れとのこと。
ここでも妻から命の水を分けてもらい、体が冷えないうちに先を急ぐことにした。

激下りでは、滑りやすいポイントで注意を促しつつペースは遅いが順調に下る。
そして、雪見、毛無への長い登りも特に苦しむこともなくいたって順調。
渋滞を避けるべく、西富士中で時間調整したつもりだったが毛無の途中で渋滞に追いついてしまった。
さすがに妻も毛無の長い登りでは疲れも出てきていたので、ちょうど良かったかったかもしれない。
止まっている間に補給を済ませ、また進む。
そして山頂では、休むことなく、渋滞要因をかわし先を急ぐ。
毛無を越え、安堵感からかこのレースで初めて睡魔を感じたが、進行に影響が出るほどではなかった。

そして、雨ヶ岳の激下りを経て竜ヶ岳の登り。
少し早すぎるペースであったが、何一つ不満を言わず後をついてくる妻。
下りでは足を温存させるべくあえて歩いて下る。
約10時間程度で本栖湖に到着。

鹿カレーとかっぱめしを頂きあしふみマッサージを受ける。
新に故障したところはないが、足の裏はジンジンし、血管が脈打つたびに痛みを感じた。
これが師匠の言う足の中の血がジャブジャブってやつか。
マッサージを受けているうちに寝落ちしていた。
その間妻はヒーターの前で暖をとり、汗かいたウエアを乾かしていた。

20日、朝4時くらいだったか、ゴール時間をどうするか相談。
ここでゆっくりするよりは、ゴールして休みたいとのことで、ゆっくりと歩みを進めることにした。

湖畔の朝は特に冷え込み、寒さを感じたらジョックをするようにして進んだ。
樹海トレイルでは今までのレースを振り返り、思い出に浸りながら進む。
小鳥のさえずりが森の目覚めを知らせる。。。のと逆に、ボクの睡魔はピークに達そうとしていた。
延々続くと思われたロードでは走っていないとぶっ倒れそうだったので、走り続ける。

鳴沢についたらテントに入り込み横になるが、いざとなると眠れない。。。
5分程度ごろごろして、寝るのをあきらめ先に進むことに。

紅葉台、五湖台と標高を上げていく。
ゴール時間の帳尻を合わせるため歩いて進むと、後ろからどんどん追い抜かれていく。
レースでなく旅であると自分に言い聞かせるが、気分がいいものではない。
それは、妻も同じらしく、「今回はトレイルランニングではなく、ウルトラライトなハイキングだったね。」と言葉に出してお互いを納得させる。

ロードに出て、せめて最後だけでもレース気分を味わおうと言うことで走り出す。
150kmを踏破した足とは思えないほど足取りは軽く感じた。

大池公園には多くの観衆が集まっていて、友達からも祝福を受けゴールゲートへ。
ゲートの先には妻のお母さんの姿を確認。良かった、間に合った。
そして、無事完走できたことを師匠に報告し、フィニッシャーベストを頂く。
師匠とどんな話をしたかはよく覚えてないが、このひと時のために走ってきたと言っても過言ではなかった。

レースを振り返ると、妻を守っているつもりが、助けられることが多かったように思う。
結婚する前から頼りになる女性だと思っていたが、今回それを強く再認識した。

そして、「またこのようなレースがあったらふたりで参加したいですか?」と言う問いに、
「旦那にケガを治してもらい、来年はサポーターとして支えたいです。」と妻は答えていた。
来年は妻の支えを受け、持てる力を総動員し今回とは違った形でこのレースを楽しみたい。


だって、トレイルランニングなんだもん!!

スタート前 師匠と

だって、トレイルランニングなんだもん!!

水ヶ塚公園

だって、トレイルランニングなんだもん!!

ゴール

だって、トレイルランニングなんだもん!!

フィニッシャーベスト贈呈

だって、トレイルランニングなんだもん!!
ハルさんと