年間452本目(月間 44本目) 
1971年公開 邦画 95位 鑑賞全作品 97本中
通算 邦画 10,066本  洋画 7,703本 合計 17,7679本

 

1. 時代錯誤の極み:整合性を最初から放棄した「バカくさいおとぎ話」

  • リアリティ皆無の設定:1920〜30年代の禁酒法時代にアル・カポネの舎弟だった男が、1971年の現代日本に帰ってくるという設定の時点でバカくろしいし、リアリティがありません。もはやおとぎ話みたいでリアリティもへったくれもない作品です。

2. やる気ゼロの布陣:演技以前の素人モデルと、不遇時代の若山富三郎

  • キャスティングの怠慢:劇中に登場するアメリカ人役は、タレントのE・H・エリック以外は、役者でもないそこらにいるモデルばかりです。演技以前の素人芝居を見せつけられます。
  • やる気のまるで出ないルーティンワーク:メガホンを取る原田隆司監督は、のちに児童映画の世界へ移っていく人物であり、今作においては映画監督としてのやる気が「まるでない」ことが画面から透けて見えます。当時の若山富三郎の扱いもあまりにひどいです。

3. 総括:ブレイク前の若山があまりに雑な扱い

  • 『子連れ狼』直前の暗黒期:このちょうど1年後の1972年に、若山富三郎が『子連れ狼』でブレイクしていく歴史を思えば、ブレイク前の若山があまりに雑な扱いの作品でした。

【総評】

時代錯誤なバカくさい設定に、演技経験のない外国人モデルの学芸会。のちに児童映画へ行く監督のやる気のなさと、若山富三郎を雑な笑いで浪費する、観客を完全に舐めきった東映の駄作でした。


年間451本目(月間 43本目) 
2024年公開 洋画 52位 鑑賞全作品 70本中
通算 邦画 10,065本  洋画 7,703本 合計 17,7678本

 

1. 女性監督(女優出身)だからこそ描けた、逃げ場のない「むき出しのリアル」

  • ファンタジーを排した痛々しい佇まい:今作を率いるのは、女優出身の女性監督フィーラ・バーテンスです。エロティシズムのフィルターや、サスペンスとしての安易な加飾を1ミリも許さない冷徹な演出が際なり、主人公である13歳の少女(ローサ・マルハント)の思春期特有の戸惑いや孤独を「むき出しの現実」として描写しています。彼女の好演が真に迫っているからこそ、そのむき出しの表現が画面から伝わってくる作品です。

2. 思春期の男子が持つ「無邪気な悪意」と、ブレーキの利かない本能の暴走

  • 性への興味と残酷さの境界線:本作が描く最大の恐怖は、加害者が大人の犯罪者ではなく、同じ13歳の「地元の少年たち」であるという点です。思春期の男子が本能的に抱く「性への過剰な興味」が、集団心理と田舎町の閉鎖的な環境の中で最悪 of 最悪の形へと変貌していく過程が描かれています。
  • 止められない本能のゲーム:彼らにとって、それはある種の無邪気な「本能のゲーム(遊び)」の延長線上にあり、だからこそ罪悪感のブレーキが利きません。男子特有の歯止めの利かない残酷さと、それに対してあまりの恐怖から完全に言葉を奪われ(声を出せなくなり)、誰にも助けを呼べない「声なき絶望の地獄」へと突き落とされる少女の対比は、観客の倫理観を激しく揺さぶります。

3. 多重的な裏切りによる「心の破壊」と、インパクト重視の不自然なラストへの疑問

  • 全方位から崩壊していく少女の居場所:本作の真のテーマは、性被害そのものよりも、少女の心を全方位から包囲して破壊していく「周囲の大人や環境の邪悪さ」にあります。育児放棄(ネグレクト)で娘に一切の興味を持たない毒母の存在、唯一の心の拠り所だった男たちの急速な「オス化」による疎外、そして隣の少女への執着の果てに起きてしまう愛馬の死。それらが積み重なった最終盤、最も信じていた「友人の母親」から、一番大事な局面で決定的な裏切りを突きつけられることで、少女の心は完全に粉砕されます。
  • 整合性を欠いた、インパクト最優先のラスト:しかし、大人になった主人公が仕掛ける終盤の展開には、強い不自然さと矛盾を感じざるを得ません。暴露という形で相手を絶対に許さないほどの強い憎しみがあるならば、「なぜ今まで黙っていたのか」という疑問が残ります。さらに、過去の暴露から自ら運んできた氷を使って自殺するという復讐のやり方もあまりに歪であり、観客にショック(インパクト)を与えるためだけに無理やり作った終わり方という印象が拭えません。映画としての解決も納得も提示できない、構成の破綻が残る結末でした。
  • 子役の扱いにみるコンプライアンスの欠如:前半で瑞々しい等身大の少女の日常を丁寧に描いていたからこそ、これほど精神的・肉体的な負荷のかかる過酷な演技を未成年の子役たちに強いている点には、ひどく疑問が残ります。現代の映画制作における子役の保護(コンプライアンス)という観点から見ても非常に配慮を欠いており、作り手の独りよがりな残酷描写のために子どもたちが消費されている現状には嫌悪感を覚えます。

【総評】

瑞々しい少女の日常から一転し、多重的な裏切りによって心が破壊されていく過剰な演出と、観客へのショック狙いで無理やり作られた不自然なラストの展開。それを演じさせられている子役たちの過酷な扱いに、激しい倫理的疑問と納得のいかなさが残る作品でした。


年間450本目(月間 42本目) 
2024年公開 邦画 75位 鑑賞全作品 92本中
通算 邦画 10,065本  洋画 7,702本 合計 17,767本

 

1. 完璧だった前半:山岸あや花が体現する「等身大の人妻ドラマ」

  • 傑作の予感を抱かせる丁寧な導入:オープニングにおける専業主婦(山岸あや花)の、退屈でリアルな日常の様子は完全に質の高いドラマテイストでした。夫の浮気、され妻の絶望、家出、それから怪しげなスナックという「夜の社会」へ足を踏み入れるまでの心理描写は、山内監督本来のキレを感じさせ、2022年の名作『人妻、ジャンプする!』以来の佳作の誕生を予感させるに十分な仕上がりでした。

2. 後半の大迷走:ヒットマンからSFへ、すべてを台無しにする「Vシネ手癖と茶番」

  • ジャンル崩壊の空中分解:しかし、主人公が夜の世界に染まった中盤以降、映画は目を疑うほどの大暴走を始めます。突如としてヒットマン(殺し屋)のバイオレンス話が始まったかと思えば、終盤にはなぜかSF的な超現実の領域へと突入。せっかく前半で丁寧に構築した「普通の女性の等身大のリアル」が完全に破壊され、主人公が普通ではない奇妙なキャラクターへと変貌してしまいます。
  • 『テルマ&ルイーズ』の出来損ない:演出の意図としては、名作『テルマ&ルイーズ』のような「男社会を脱出した女たちの破滅的で自由な逃避行」の美学を狙ったのでしょうが、あまりの唐突さと構成の雑さゆえに、ただの独りよがりな「茶番」として着地してしまっています。

3. 総括:商業的成功の病理が露呈した、山内監督作でも「下の部類」の一本

  • ヒットメーカーの陥る罠としてのディレクター論:山内監督といえば、Vシネマの『嬢王』や『夜王』シリーズなどのベたなエログロ・水商売ノワールで商業的に大成功を収めた鬼才です。かつてはその稼ぎを背景に、P映画ではピンク映画ベストテン常連となるような尖った佳作を連発していましたが、近年は「金儲け作のベタなヒットの型(手癖)」に脳が引っ張られ、本業のP映画の質が著しく低下しています。
  • 前言撤回のような落胆:前半の実力が見事だった分、後半のルーティンに逃げた大迷走の歯痒さはひとしおです。映画としての統一感を完全に欠いており、近年の山内大輔監督の長い低迷期を象徴する、彼のフィルモグラフィの中でも明らかに「下の部類」に属する、非常に勿体ない失敗作でした。

【総評】

山岸あや花さんの等身大の好演が、後半のヒットマン&SFという安易なVシネ手癖の茶番劇によって完全に殺されてしまった、ベテランの迷走を感じる残念な一本でした。