見られないところに本質が出る


数日前、皇室の愛子さまが就職されたというニュースを見ました。

私は皇族ファンなわけではありませんが、雅子さまや愛子さまの品のよさには、同じ女性として憧れます。愛子さま、とってもおきれいになられて、落ち着いていて気品があって、すてきな女性になられましたね花

今日は「品」について考えてみます。

突然ですが、ふと思ったんです。ごみの出し方ってその人の本質を表すなと。




我が家はマンション暮らし真顔

ゴミは基本的にいつ出してもいいようになっており、清掃の方が住民が出したごみを収集しやすいように絶えずきれいに整えてくれています。

私は、ごみ出しのタイミングで清掃の方に会うと、ちょっとドキッとしてしまうことがあります。それは、自分のゴミの出し方に自信がないから不安


私は大雑把なので、燃やすゴミにプラが混ざってるなぁとか、ダンボールの縛り方汚いなぁとか、缶の中身が袋にこぼれてるなぁとか。。。ツッコミどころは無限にあります不安

自分なりにできる範囲でやってますが、私のゴミの出し方はあまり美しくない。。。



ゴミには名前は書かないので、どこのお家のものかわかりません。

私が似ているなぁと思うのが、ホテルをチェックアウトする時のお片付け。

きれいに整えて帰るか、散らかしたまま帰るかは宿泊者次第。

お店で食事を終えた後のテーブルの上についても同じことが言えます。

評価もされないし、(よっぽどでなければ)とがめられることもない、こうした細部に、人の本質が出るのではないかと思います。

何のためにやるのか、それは、その先に人がいるから。上の例だと、マンションの清掃の方、ごみ収集の方、ホテルの清掃員さん、居酒屋やファミレスの店員さん。そうした忙しい方々がせめて少しでもやりやすく、少しでも気持ちよく片付けてもらえるように。

そういうところまで想像ができるか、さらにそのために行動できるか、なのかなと。。

お金があってもなくても、外見がきらびやかでも地味でも、美しくゴミが出せる人は、本当の意味で美しい人。その人の「品」や「格」がわかる部分なのではないかと思います。

 「神は細部に宿る」そんな言葉を思い浮かべながら、少しでも美しくゴミを出せる人間になりたいと思うのでした指差し花